札幌古稀旅行のつれづれぶろぐ

今月の始め、9月1日~4日、久しぶりに北海道札幌市、そして札幌の奥座敷定山渓温泉を訪れました。旅行の主たる目的は定山渓温泉ふる川で行われる北海道大学時代の同期の集まりでありまして、なんと「古稀(こき)の会」と名付けられておりました。

古稀ですから、70歳の集いになるわけでありまして、もう参加する皆が前期高齢者?でありまして、「札幌では熊も出るってさ」。「俺たち高齢者が素手で大丈夫かい」とか「熊対策は高齢者に鈴(すず)をつければ大丈夫でないかい」とか、大いに心配しあったのですが、杞憂(きゆう:する必要のない心配)に終わりましたね。かって, 大学の前身、札幌農学校時代、大学構内には熊が棲み、学生はそのような状況で真理を追究しておったとか・・・。多分違うとは思いますが、熊(羆:ヒグマですね)と学生との間にはお互い信頼関係があったとか。学生時代、ストームでそんなことを歌ったことがあったような・・・。ちと違いますね。お忘れください。
実は、9年前にも同じ定山渓で「還暦同期会」が行われたのですが、参加した皆が、その時から全然歳をとっていないように見受けました。大学卒業後初めて参加するものはさすがに歳をとったなとの話もあったのですが、それは還暦時に参加しなかったからでありまして、参加した皆、16名でした、がただただ元気であったのにはおどろきました。人間、ある歳に到達すれば歳をとらないのではないかと、私、ふらぬいは思いましたね。

実は私、ふらぬい、札幌行きは前回、5年ほど前、札幌北海道大学ブログをしたためて以来の札幌行きでありました。貼り付けますね。

「札幌 北海道大学想い出散歩」
http://470830.at.webry.info/201212/article_7.html

実はあの時には高校の同期会が札幌でありましたが、個人的な事情でいけなくなり、、その後、傷心?の傷をいやす札幌行きだったのです。ブログにはそのようなこと何も触れませんでしたが・・・。

札幌古稀旅行のブログを書き始めたのでしたね。戻します。

羽田空港から新千歳空港に着き、電車で札幌駅に到着しました。この新しい駅を訪れるのは五度目になる筈です。

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駅を出て正面の通りを写します。ふらぬいの大学生の頃(半世紀前です)は路面電車が往き来しておりましたが、現在はこのような感じですね。

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早速、札幌の定宿(じょうやど:いつものホテルです)にチェックインして、歩いて、母校、北海道大学を目指します。

定宿から北大は生協(COOP)の建物の前を通り、クラーク会館側から入ります。入学時大志を抱かせていただいたクラーク先生に挨拶しますね。

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今回、観光客は見当たりませんね。もしかしたら昔みたいに観光バスなど入れていないのかも・・・。

正門を入ってすぐ右手にあります北大の見取り図です。前回のブログとどのように違っているのかわかりませんが・・・。

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前回の北大紹介で、ふらぬいの学んだ工学部や電子工学科の建物の写真はありませんでしたので、今回は載せますね。50年前に学んだ工学部校舎です。当時は新校舎でした。

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50年昔は電子・精密(両工学科)の3階建て校舎は工学部校舎から離れており長い廊下で接続されておりました。今では国際連携機構の大きな建物になっているようです。

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北大の学部校舎はほとんどが旧校舎の後方に新校舎ができておりましてもちろん50年前とは趣が違います。昔は教養学部のさらに北側に獣医学部がありました。現在は新しい獣医学部の校舎になっており、さらに北側に低温科学研究所がありますね。観光客が訪れる農場もこちらにあります。北18条の道路は北大の地下を通過しています。もちろん前回訪問時も存じ上げていましたが、あまりに広い大学構内が交通の障害であったのを改善したのだと思いますけどね。

翌日はホテルをチェックアウトして北海道大学植物園内を約2時間歩きました。30年ぶりくらいでしょうかね、この植物園を訪問するのは。でも記憶の片隅に残ってはおりましたよ。

北海道大学植物園入口です。

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ここまで来て、旧道庁を訪問しないてはありませんので少し見てまわりましたよ。

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何か獣医学関連のイベントが行われておりました。札幌にくるとたびに訪れていましたので今回は素通りします。

札幌NHKと札幌テレビ塔の道路に送迎バスが待っておりますのでそちらに向かいました。送迎バスで「古稀の会」が行われる定山渓温泉 ぬくもりの宿ふる川到着です。

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還暦同期会も同じ会場でした。

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一番右側の掲示が「古稀の会」の客が投宿しているとの証(あかし)です。

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他のお客様がお泊りになっている掲示もありますが、他意はありませえんのであしからず。

「古稀の会」参加者は約半世紀ぶり、または「還暦同期会」から9年ぶりの再会を大いに喜びあい、昔の話、今の話を肴(さかな:興を添える話題の意)に大いに飲み、食べ、夜が更けるまで愉しんだのでした。そして、次回は「喜寿の会」を7年後に同じ場所で行うことを無謀?にも約束し、翌日、それぞれ帰路についたのでした。「古稀の会」本当に愉しかった、が私、ふらぬいの感慨でした。

ここから、つれづれぶろぐの古稀(こき)つれづれに入りますからね。

皆さんは「古稀(こき)」の意味そしてその由来はご存知ですよね。

古稀(古希とも書きます)

意味:古稀とは数え年で70歳、また、その祝いです。
古稀の語源・由来:古稀は、中国唐代の詩人杜甫(とほ)の「曲江」の詩句にある「人生七十古来稀なり」に由来する。

杜甫(とほ)と言えば「春望」を思い出しますよね。「国破れて山河あり」のあの超有名な詩文です。松尾芭蕉も「奥の細道」で引用しておりますね。一方、「曲江」は「人生七十古来稀」のうち「古稀」が一人歩きして有名な文言になってしまったようです。でも、多分、古来から「人生七十古来稀」は言い伝えられていた諺(ことわざ)だったようにおもいますね。杜甫は「この人生、どうせ七十まで生きないのだから、今のうちにせいぜい楽しんでおきたいのだ」と詩文で述べたのです。ちなみに杜甫は五十九歳で亡くなっています。
でも、杜甫のこの詩文により、「古稀」は見事に定着し、あるときは哀歓をこめ、また稀な年を祝う意味に使われるようになり、七十歳を古稀(こき)というのが定着していったようです。

私、ふらぬい、昨年からどれだけ「古稀」という文言をある時は文章に認(したた)め、使用したのか数え上げればきりがありませんでした。もう「古稀」を迎え、既に卒業して、もっともっと素敵な響きの言葉の使用に変えていきたいと考えております。でも、まもなく?、すぐさま?やってくる喜寿(きじゅ)を今回の「古稀」のように喜ぶのではないかと思いますね。忸怩たるものがあります。

私、ふらぬいがまだ若かりし頃学んだ、あの孔子(こうし)の「論語」の文言が頭に残っておりますね。多分、皆さんもご存知な文言ですがね・・・。

論語:
子曰く「我 十有五にして学に志し(志学:しがく)、三十にして立ち(而立:じりつ)、四十にして惑わず(不惑:ふわく)、五十にして天命を知る(知命:ちめい)、六十にして耳順(したが)い(耳順:じじゅん)、七十にしてこころの欲するところに従いて矩(のり)を越えず(従心:じゅうしん)」

意味:
孔子は言う 私は15歳で学問に志した。30歳で自信がつき自立できるようになった。40歳でこころに惑いがなくなった。50歳で天の使命を知り得るようになりました。60歳では耳にどんな話が聞こえても動揺したり腹が立つことは無くなりました。70歳になると自分が行うすべての行動は道徳の規範から外れることはなくなった。

15歳を志学、30歳を而立、40歳を不惑、50歳を知命、60歳を耳順、70歳を従心と呼ぶのです。

孔子様はやはり70歳を超えたことになんら触れてはおりませんでした。ですから、あの杜甫もここ(論語)から七十を古稀(いにしえより稀)と表現したのかも知れません。

でも、今では、77歳:喜寿、80歳:傘寿、88歳:米寿、九十歳:卒寿、99歳:白寿、100歳:百寿、百賀、紀寿など多数・・、さらに長命の方がおられます。呼び名は準備されているのでしょうね。

9月15日、老人の日だそうです、テレビニュースで報じておりましたが、日本人で百歳以上の方は6万7千8百二十四人もおられるそうです・・・。さらに増えていくことになるのでしょう。おめでたいことです。

私、ふらぬい、古稀を迎えました。まだまだ健康寿命を生きていきたいものです。

札幌古稀旅行のつれづれぶろぐでした。







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