夏目漱石、三四郎つれづれをつれづれぶろぐ

 朝日新聞の朝刊に夏目漱石「三四郎」全117回を106年ぶりに連載しておりますね。私、ふらぬい、小説本文につきましては今から45年以上前に読んでおりまして、時々このような場面があったかもなどと懐かしく再読?しております。「三四郎」連載の前は同じ夏目漱石の「こころ」が連載されておりました。どちらも、ふらぬいの大学時代に、現代日本文学全集「夏目漱石」で読んだように思います。当時はいろいろな出版社が日本文学全集を発行していたように思います。世界文学全集、日本の歴史、世界の歴史なども出版社が競って発行していたように思いますね。でも、このごろは出版社も不況で大変だとか、というのは電子出版が盛んになって、若者(ばかりではない)が製本された本を読まなくなり、PCやスマホで書物を読む機会が増えたといいますからね。
私、ふらぬい、本を読むのは好きですから本屋通いも図書館通いも足繁く行っております。また本に触れるのが好きなのです。ただこの頃は本屋さんも少なくなりましたね。ものを買わずに入店できるのは本屋さんだけでしたからね。また現役で働いていた時(定年退職前)には通勤時間中にいつも新刊書とか文庫本を読んでいましたね。通勤時間の長短によって読む本も内容も、本の厚さも違いましたが・・・。座席に座っても、混雑時吊革にぶらさがっても本は離しませんでしたね。何故かの理由は書きませんが・・・、懐かしい感じがします。

本日、1月29日の朝日新聞連載小説「三四郎」に朝日新聞編集部?の中村真理子さん名(以下筆者と略す)で”三四郎つれづれ”との小文(短い文章)が添えられておりました。その小文で、筆者は夏目漱石の作品はお金に細かいと指摘しているのです。

確かに、本日の「三四郎」第81回八の七に「美禰子は三四郎に預金通帳を渡し「三十円」と金高をいった。三四郎は与次郎がなくしたお金、「三十円」を受け取る、とそのようなこと、金に細かいことが書かれています。

三四郎つれづれの筆者は、漱石は”お金に細かい”との例証を次のように示します。

「坊ちゃん」では、松山の中学校の月給が40円。最初に泊まった宿屋の茶代に5円を払い、団子二皿7銭を払ったとか・・・。
自伝的小説「道草」も金の話ばかり。主人公、健三のもとに、縁を切ったはずの養父がたびたび金の無心にとか・・・。
また、「こころ」でも、「先生」を人間不信にしたのは、故郷の叔父との財産問題だったとか・・・。

実は私、ふらぬいつい最近です、漱石の「門」を読んで、読了しておりまして、主人公の宗助の父が遺した遺産が2千円で、弟、小六の大学卒業までに千円を使い、それが尽きたら云々との話が書かれておりました。さらに父親が遺した屏風が35円で道具屋に売れるまでの経緯、そして宗助の家主の坂井に道具屋が80円で売ったことが面白おかしく書かれていました。お金の話はそこかしこに出てきました。岩波文庫で読みましたので、現在では”いくらいくら”の説明はありましたけどね。

これらのことを、三四郎つれづれの筆者は漱石はお金の描写に細かいとしているのです。
でも、私、ふらぬい小説も何事も数字で説明されると頭に残ってよいのですけどね。多分、私の頭の構造が理系だからなのかも知れませんが・・・。

三四郎つれづれの筆者の小文では次の文章が印象に残ったのです。つまり、
「1984年、漱石は千円札の肖像になった。孫の半藤末利子さんは漱石の妻鏡子さんの「漱石の想い出」に寄せた解説で、「お札になるってどんな気持ち?」と漱石の長女筆子さんの答えを紹介している。「へーえ、お金に縁のあった人とは思えないけど」
と漱石のことを書いています。

三四郎つれづれの筆者のこの文章を読んで、漱石の長女筆子さんの逸話を、著名な小説家で随筆家、ノンフィクション作家の半藤一利氏が語っておられるのを、私、ふらぬいが既につれづれぶろぐの俎上に載せておりました。コピペしますからね。

「半藤一利氏、氏は夏目漱石のご子孫(半藤氏の妻の母親が漱石の長女、筆子さん)の婿でもある、が語っておられるのです。それは、史記とも論語とも関係ないのですが、日本のお札(さつ)、紙幣についてのことなのです。2004年に新札が発行になって、お札の肖像がそれぞれ、一万円札は福沢諭吉、5千円札は樋口一葉、千円札は野口英世になっていますね。このお札が発行される前の一万円札、5千円札、千円札はそれぞれ、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石です。もちろんご存じですね。
半藤氏は(というより、彼の妻の母親がが正しい)あの著名なご先祖の夏目漱石が何故、一万円札ではなく千円札の肖像になったか不思議だったのだそうです。それで、知名度から言えば、夏目漱石は新渡戸稲造よりは上ではないか。もしかしたら、福沢諭吉よりも上ではないかと考えて、何故夏目漱石が一万円札の肖像ではなくて千円札の肖像になったのかを当時の大蔵省に訊ねたのだそうです。そうしたら、大蔵省曰く、「生まれた順番です」との回答が得られたそうなのです。それで納得したというか、当時の大蔵省曰く、というか、今までも、発行されたお札の肖像には「生まれた順番の掟(おきて)」があり、これからもその掟に縛られるのだそうですよとのこと。つまり、発行されている高額紙幣の一番高額なお金の肖像になる方は、必ず他のお札(額の少ないお札)の肖像の方より生まれた時期が早いのだそうです。

それで、私、理系のふらぬいは調べましたよ。1963年に千円札は伊藤博文の肖像でしたね。あの当時、5千円札、1万円札は聖徳太子でした。聖徳太子が真に実在する人物かはさておき、伊藤博文よりは古い人物です。それで、1984年に福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石がお札の肖像になりました。これは確かに生まれた順番です。福沢諭吉は1835年、新渡戸稲造は1862年、夏目漱石は1867年の生まれです。それで、1万円、5千円、千円札の肖像がどなたになるかが決まってしまったのです。ちなみに、2004年発行のお札についてもきちんとそのルールは守られているのですよ。5千円の樋口一葉は1872年の生まれ、野口英世は1876年の生まれですからね。次回の新札発行時にもこのルールは適用され、遵守される筈ですよ、多分・・・。

あっ、そう言えば、聖徳太子の千円札ができてから、5百円札は岩倉具視、百円札は板垣退助の時代もありましたね。岩倉は1825年生まれ、板垣は1837年生まれですから、ここでもお札の掟のルールは守られていたのです。」

私、ふらぬいが今から3年半前に認めたブログです。「史記」と日本人との鼎談を読んで”お札(さつ)”にまで話(ブログ)が発展したのです。ちと古いブログですが、「史記」の知識は言うに及ばず、お札(さつ)の知識も深めることができます。貼り付けますね。

「史記」と日本人から論語とお札(さつ)のつれづれぶろぐ
http://470830.at.webry.info/201110/article_5.html

夏目漱石、「三四郎つれづれ」を読んで、漱石はお金に細かいとの筆者の考えに賛同すると同時に、漱石と日本のお札(さつ)の関係は面白いと再認識したのでした。そして、漱石の長女、筆子さんの漱石千円札の肖像画への思い、微笑ましいと思いますし、好きですね。

夏目漱石、三四郎つれづれをつれづれぶろぐしました。

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