今年も若葉台の散歩道に蝋梅(ロウバイ)が咲きました
今年も若葉台の散歩道に蝋梅(ロウバイ)の花が咲いているのを見つけました。3年続けてブログで取り上げることになります。そう言えば、年明けの蝋梅(ロウバイ)、次には2月の梅(紅梅、白梅・・)そして3月は桜と、冬から春にかけての横浜若葉台の季節の移(うつ)ろいお見せするのが、つれづれぶろぐ恒例?の行事になりつつあります。そんなことはあまり意識はしておりませんけど・・・。きっと意識しているのでしょう。
蝋梅(ロウバイ)が後水尾天皇の御代(江戸時代です)に、中国、朝鮮から伝わり、日本国内に広まり、もうそんなに珍しい木や木の花ではなくなったのは確かです。東京近郊また関東一円にも数多く、蝋梅(ロウバイ)の郷(さと)、里(さと)や村、そしてお寺があります。私、ふらぬいも何度か蝋梅(ロウバイ)鑑賞にその場所やお寺に出かけたこともありました。
でも、2年前、横浜若葉台の近辺でも、蝋梅(ロウバイ)が咲いているのを見かけてから、蝋梅(ロウバイ)の追っかけが始まりました。若葉台団地の中にも蝋梅(ロウバイ)の木はあるにはあるのですが、このようにたくさん花を咲かせている蝋梅(ロウバイ)は珍しいのです。私、ふらぬいも、年明けから、この近辺を歩いておりませんでした。2年前にその場所、横浜港に注ぐ帷子川の源流近くとも教えておりましたが、今回はその源流までお見せしてしまいます。
散歩道に咲いた蝋梅(ロウバイ)です。正式には素心蝋梅(ソシンロウバイ)と言うのだそうです。
写真を拡大しますと黄色に混じって赤い花が気になりませんか? 山茶花の赤い花です。もちろん今時分、若葉台のそこかしこに咲き誇っています。
この蝋梅(ロウバイ)の木、帷子川源流近くの小川?のそばに在って、毎年正月明け頃からひっそりと香(かぐわ)しい黄色い花をつけるのです。
帷子川源流近くの小川に沿って咲き誇る素心蝋梅(ソシンロウバイ)です。
デジカメですので少し風があるとぼやけてしまうようです。実際はカメラマン、ふらぬいです、の腕が良くないのですけどね。
日本新薬の植物図鑑に蝋梅(ロウバイ)の説明があります。貼り付けます。
http://www.nippon-shinyaku.co.jp/herb/db/arekore/41_50/chimonanthus_praecox.html
「蝋梅(ロウバイ)の淡い黄色の可憐な花や甘い馥郁(ふくいく)とした香りは、私たちの日々の生活に、「ゆとり」と「やすらぎ」を与えてくれる。蝋梅(ロウバイ)の花言葉は、「慈愛」である。この花は、人に愛惜しむ(いとおしむ)思いを感じさせてくれる」
のですと。「ゆとり」と「やすらぎ」は感じますね。「慈愛」に加え「自愛(自らその身を大切に)」と言っているようにも思えますけどね。
毎年恒例の蝋梅(ロウバイ)ブログですが、原産は中国で後水尾天皇の時代に朝鮮から渡来に、花言葉、「慈愛」が加わりました。
今年も正月明け忘れずに咲き誇ってくれた、蝋梅(ロウバイ)に心寄せて思い出す、和歌(拙首?拙句はありますが、詠み人知らずにしてしまう)一首、
「夏(なつ)すぎて 秋(あき)きにけらし ふるさとに 冬(ふゆ)きたりなば 春(はる)とおからじ (詠み人知らず)」
(夏が過ぎて、秋が来たらしい、と思っていた、故郷に、もう冬が来たっていうから、まもなく春がくるのでしょう)
私、ふらぬいは蝋梅(ロウバイ)が咲き誇るのを見ると、故郷の北海道はまだ真冬で雪の中と思い出すのです。思い起こすのは「冬きたりなば春遠からじ」の言葉です。でも、高齢者になって思うのですが、季節(四季)の巡りは本当に速くなりましたね。
四季、といえば春夏秋冬の言葉を思い出します。「四季の歌」と言えば、芹洋子、「春夏秋冬」の歌と言えば、泉谷しげるを思い出します。芹洋子さんは週刊朝日の今週号に連載されている司馬遼太郎の街道「オホーツク街道」に一文を寄せられていました。また、泉谷しげるさんは昨年末、NHK紅白歌合戦に初出場?して頑張っていました。泉谷さん、私、ふらぬいはフォークソングの歌手としてしかあたまになかったのですが、この頃はテレビドラマに出演して活躍しているとか・・・。ご両名ともふらぬいと同世代かなと考えていましたが、なんと、私の方が先輩みたいのようです。そんなぁ、と思いますけどね。
さらに、四季、春夏秋冬、春になって、夏になって、秋、冬・・・、の歌で思い出すのは、わらべ歌「どじょっこふなっこ」でしょうね。
「どじょっこふなっこ」の歌詞です。歌も「YouTube」で聴けます。
http://www.uta-net.com/movie/13921/
昔というか幼児や小学生時代には皆さん、よく歌ったのでしょうね。私も歌った筈。でも、私の小学生時代に、この「どじょっこふなっこ」の歌を本当に歌ったのかあまり記憶にないですね。
ふらぬいが小学生時代、大昔?、小学校4年生の時です、(多分お正月?に)担任の先生のお家に伺って大人の歌を歌って、「そんなのはもっと大人になってから歌うものだ」と先生に叱られ諭されたことがありました。なんと、私、ふらぬいは、あの島倉千代子のデビュー曲「この世の花」を歌ったのでした。島倉千代子さんは昨年この世を去りました。「東京だよお母(おっか)さん」、「からたち日記」、「人生いろいろ」等々名曲をたくさん残してくれました。最後の曲が「からたちの小径」とか。
”からたち”とは「唐(から)たちばな」の略、文字通り、中国原産、ミカン科の落葉低木、普通は生け垣として栽培されます。春に白色5弁の小花を開き、秋、芳香ある実が黄熟するが食べられないそうです。それで未熟の実を健胃剤にするそうです。”からたち”は万葉集にも詠まれていますので、それ以前に中国から渡来しています。
からたちを「唐(から)たちばな」と言うように、蝋梅(ロウバイ)を「唐(から)梅」とも言います。どちらも中国原産の植物で、遥か昔のことですが、遠い異国、日本国にやってきたことをどのように思って咲き誇っているのでしょうか。美しい日本にやってこれて本当に良かったとでも思って咲き誇っている? そんなこと、分かる訳ありませんよね。失礼しました。
今年も若葉台の散歩道に蝋梅(ロウバイ)が咲きましたとのつれづれぶろぐでした。
蝋梅(ロウバイ)が後水尾天皇の御代(江戸時代です)に、中国、朝鮮から伝わり、日本国内に広まり、もうそんなに珍しい木や木の花ではなくなったのは確かです。東京近郊また関東一円にも数多く、蝋梅(ロウバイ)の郷(さと)、里(さと)や村、そしてお寺があります。私、ふらぬいも何度か蝋梅(ロウバイ)鑑賞にその場所やお寺に出かけたこともありました。
でも、2年前、横浜若葉台の近辺でも、蝋梅(ロウバイ)が咲いているのを見かけてから、蝋梅(ロウバイ)の追っかけが始まりました。若葉台団地の中にも蝋梅(ロウバイ)の木はあるにはあるのですが、このようにたくさん花を咲かせている蝋梅(ロウバイ)は珍しいのです。私、ふらぬいも、年明けから、この近辺を歩いておりませんでした。2年前にその場所、横浜港に注ぐ帷子川の源流近くとも教えておりましたが、今回はその源流までお見せしてしまいます。
散歩道に咲いた蝋梅(ロウバイ)です。正式には素心蝋梅(ソシンロウバイ)と言うのだそうです。
写真を拡大しますと黄色に混じって赤い花が気になりませんか? 山茶花の赤い花です。もちろん今時分、若葉台のそこかしこに咲き誇っています。
この蝋梅(ロウバイ)の木、帷子川源流近くの小川?のそばに在って、毎年正月明け頃からひっそりと香(かぐわ)しい黄色い花をつけるのです。
帷子川源流近くの小川に沿って咲き誇る素心蝋梅(ソシンロウバイ)です。
デジカメですので少し風があるとぼやけてしまうようです。実際はカメラマン、ふらぬいです、の腕が良くないのですけどね。
日本新薬の植物図鑑に蝋梅(ロウバイ)の説明があります。貼り付けます。
http://www.nippon-shinyaku.co.jp/herb/db/arekore/41_50/chimonanthus_praecox.html
「蝋梅(ロウバイ)の淡い黄色の可憐な花や甘い馥郁(ふくいく)とした香りは、私たちの日々の生活に、「ゆとり」と「やすらぎ」を与えてくれる。蝋梅(ロウバイ)の花言葉は、「慈愛」である。この花は、人に愛惜しむ(いとおしむ)思いを感じさせてくれる」
のですと。「ゆとり」と「やすらぎ」は感じますね。「慈愛」に加え「自愛(自らその身を大切に)」と言っているようにも思えますけどね。
毎年恒例の蝋梅(ロウバイ)ブログですが、原産は中国で後水尾天皇の時代に朝鮮から渡来に、花言葉、「慈愛」が加わりました。
今年も正月明け忘れずに咲き誇ってくれた、蝋梅(ロウバイ)に心寄せて思い出す、和歌(拙首?拙句はありますが、詠み人知らずにしてしまう)一首、
「夏(なつ)すぎて 秋(あき)きにけらし ふるさとに 冬(ふゆ)きたりなば 春(はる)とおからじ (詠み人知らず)」
(夏が過ぎて、秋が来たらしい、と思っていた、故郷に、もう冬が来たっていうから、まもなく春がくるのでしょう)
私、ふらぬいは蝋梅(ロウバイ)が咲き誇るのを見ると、故郷の北海道はまだ真冬で雪の中と思い出すのです。思い起こすのは「冬きたりなば春遠からじ」の言葉です。でも、高齢者になって思うのですが、季節(四季)の巡りは本当に速くなりましたね。
四季、といえば春夏秋冬の言葉を思い出します。「四季の歌」と言えば、芹洋子、「春夏秋冬」の歌と言えば、泉谷しげるを思い出します。芹洋子さんは週刊朝日の今週号に連載されている司馬遼太郎の街道「オホーツク街道」に一文を寄せられていました。また、泉谷しげるさんは昨年末、NHK紅白歌合戦に初出場?して頑張っていました。泉谷さん、私、ふらぬいはフォークソングの歌手としてしかあたまになかったのですが、この頃はテレビドラマに出演して活躍しているとか・・・。ご両名ともふらぬいと同世代かなと考えていましたが、なんと、私の方が先輩みたいのようです。そんなぁ、と思いますけどね。
さらに、四季、春夏秋冬、春になって、夏になって、秋、冬・・・、の歌で思い出すのは、わらべ歌「どじょっこふなっこ」でしょうね。
「どじょっこふなっこ」の歌詞です。歌も「YouTube」で聴けます。
http://www.uta-net.com/movie/13921/
昔というか幼児や小学生時代には皆さん、よく歌ったのでしょうね。私も歌った筈。でも、私の小学生時代に、この「どじょっこふなっこ」の歌を本当に歌ったのかあまり記憶にないですね。
ふらぬいが小学生時代、大昔?、小学校4年生の時です、(多分お正月?に)担任の先生のお家に伺って大人の歌を歌って、「そんなのはもっと大人になってから歌うものだ」と先生に叱られ諭されたことがありました。なんと、私、ふらぬいは、あの島倉千代子のデビュー曲「この世の花」を歌ったのでした。島倉千代子さんは昨年この世を去りました。「東京だよお母(おっか)さん」、「からたち日記」、「人生いろいろ」等々名曲をたくさん残してくれました。最後の曲が「からたちの小径」とか。
”からたち”とは「唐(から)たちばな」の略、文字通り、中国原産、ミカン科の落葉低木、普通は生け垣として栽培されます。春に白色5弁の小花を開き、秋、芳香ある実が黄熟するが食べられないそうです。それで未熟の実を健胃剤にするそうです。”からたち”は万葉集にも詠まれていますので、それ以前に中国から渡来しています。
からたちを「唐(から)たちばな」と言うように、蝋梅(ロウバイ)を「唐(から)梅」とも言います。どちらも中国原産の植物で、遥か昔のことですが、遠い異国、日本国にやってきたことをどのように思って咲き誇っているのでしょうか。美しい日本にやってこれて本当に良かったとでも思って咲き誇っている? そんなこと、分かる訳ありませんよね。失礼しました。
今年も若葉台の散歩道に蝋梅(ロウバイ)が咲きましたとのつれづれぶろぐでした。
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