中国隋煬帝の2基め(本物?)の墓確認(中国・江蘇省)をつれづれぶろぐ

中国考古学会は11月16日、江蘇省揚州市で会見し、同市の工事現場で今年3月に発見された古代遺跡が約1400年前の随王朝第2代皇帝・煬帝(569~618年)と妃の墓であることが確認されたと発表した。しかも、中国における「重大な考古学上の成果」としている。中国の通信社、ニュースサイト中国新聞網などが報じたのだそうです。

日本国の聖徳太子が、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との国書を送り、その国書が無礼だと激怒したと伝えられる中国隋の2代皇帝煬帝の墓ですね。

近くに煬帝の陵墓とされる土地があったため、発見された墓は慎重に調査された。報道によると、墓誌や金をちりばめたベルトなど出土品から、煬帝の埋葬地と確認されたのだそうです。

揚州市の不動産建設現場から2つ墓(れんが製)が発見された。
「2つのれんが製の墓は不動産開発の工事中に発見。1つは長さ約25メートルで墓誌のほかに玉器、銅器などの副葬品が100点余りと50歳前後とみられる男性の歯などが出土した。墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴などから煬帝の墓と認定したという。
別の墓は長さ約13メートルで副葬品は約200点。56歳ごろとみられる女性の人骨があり、煬帝の妃の墓と推定された」
とあります。

なんでこのような中国の通信社のニュースを取り上げたかと言いますと、中国国内には既に煬帝の陵墓と言われるものが存在しており、これで2基見つかったことになります。今回見つかった陵墓が本当に煬帝の陵墓とすると、この中国考古学会、今までに見つかっていた隋煬帝陵墓(隋煬帝の陵墓の遺跡は揚州市北部郊外の槐泗鎮にあり、唐代の武徳5年(紀元622年)に建設が始められ、隋煬帝である楊広と皇后と共に祀られている。同遺跡は1956年、江蘇省が同年初めて認定した文物保護施設のひとつに指定されている)はどうするのか、つまりその真贋をどうするのかとの考えには至らないのでしょうね。なんと言っても、今回確認した煬帝の2基めの陵墓もこれから観光地になりますからね。

そう言えば、今年の4月に見つかったばかりのこの煬帝の新しい陵墓発見についてブログに認めておりました。貼り付けますね。ちと長いですが・・・。

聖徳太子と中国隋の煬帝、日本史と世界史の謎に迫るブログ
http://470830.at.webry.info/201304/article_7.html

実は、歴史上実在したと私、ふらぬいが歴史で学んだ、我が?聖徳太子(厩戸王子)が日本の歴史学界では実在が疑問視されているのだそうでありまして、日本の歴史学界よ、実在したにせよ、実在しなかったにせよ、その真偽確認しっかりせよと叱咤激励しておりました。なんと言いましても、かの中国では、聖徳太子が国書を送った中国隋の煬帝の2基めの墓が見つかったのですから・・・。
隋の煬帝が2人もいたのです、などと言う気はさらさらありませんが、中国の歴史にも出てくる煬帝の相手方、日本国聖徳太子(厩戸王子)が存在しないとしたら、小野妹子も中国の歴史も真偽は不明? しかも以前発行されていた1万円札、5千円札、千円札の肖像となった聖徳太子は存在しなかった? そんなことありませんよね。
中国隋の煬帝の2基めの陵墓が発見されたのなら、聖徳太子(厩戸王子)が2人存在したのでは、などと言ってませんからね。ただ、世界遺産「万里の長城」、登録時6352Kmだった長さを、2万1196Kmに延伸させておりますから、中国国内で、さらに3基め、4基めの煬帝の陵墓が発見されないとは言えないですからね。あっ、失礼。
日本の歴史学者殿、しっかりせよと言いたいのです。

中国隋煬帝の2基め(本物?)の墓確認(中国・江蘇省)をつれづれぶろぐでした。

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