ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ さようならの向こう側

今回のふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐは”さようならの向こう側”です。今回で28回目になります。私、ふらぬいの旧浅野炭坑ブログは團伊玖磨さんの名作「パイプのけむり」にあやかって名付けて、つまり、順番付けしておりました。團伊玖磨さんの名作、「パイプのけむり」は第27巻の”さようなら”が最終巻でした。前回のブログが”さようなら”でしたので、最終回だったのですが、「ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ」を”さようなら”で終わらせるのはもったいないとのコメントが多数ではありませんが、数件? いやもっと少ないながらも来ておりました。そのもったいないとの言葉に勇気付けられ、まだ頑張らなければいけないと、自分自身を鼓舞してもおりました。

でも、”さようなら”ブログで、私、ふらぬいは、それが何時になるかはわかりませんが、”さようなら”の次はきっと”さようならの向こう側”になるはず、とのメッセージを残しておりました。あれからもう4ヶ月以上も経過しましたが、今回の、ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ さようならの向こう側をブログに認(したた)めることになりました。

実は先日来、私事で横浜を離れ、北海道上富良野町に帰省しておりまして、10月11日に羽田→旭川空港、11~15日上富良野町滞在、10月15日旭川空港→羽田、横浜帰着のスケジュールで横浜若葉台に帰ってまいりました。台風26号が関東地方に接近中ではありましたが、なんとか横浜若葉台帰着間に合いました。
北海道上富良野町滞在中、天気はほとんど曇りか雨でしたが、10月14日、一日だけは晴れました。その10月14日朝9時に旧浅野炭鉱行きを思い立って、準備に1時間費やし、午前10時上富良野出発、約2時間で沼田町幌新温泉着。ここをベースに、沼田ダム、ホロピリ湖、つまり、ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑(炭鉱)の街、この街は沼田ダムのホロピリ湖に沈んでおります、を思い浮かべ道道867号を約1時間ドライブしてきました。その後、幌新温泉から上富良野町の実家へ、往きと同じく約2時間のドライブで戻りました。

旧浅野炭鉱をふるさとに持っている方には見慣れた景色、光景とは思いますが、私、ふらぬいにとっては昭和63年8月、浅野炭鉱の街、廃墟の街を目に焼き付けて以来の訪問です。ましてその浅野の街がホロピリ湖に沈んでいるのを見るのも初めてです。と言っても浅野の街が見える訳でももちろんありません。ですから、秋のホロピリ湖を眺めながらの思い出ドライブなのですが・・・。以前、ブログでお見せした、Google Mapを見ながら行きましょう。

Google Mapを貼り付けます。使い方は分かりますよね。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=43.935947,141.930056&spn=0.011558,0.041628&t=h&z=15&lci=com.panoramio.all,com.youtube.all,org.wikipedia.ja,com.google.webcams&brcurrent=3,0x5f0c5a1fd4afc66b:0xd11c457238de425a,1,0x5f0c5f50b72660b7:0x8bbecb7fbfb54bb8
幌新温泉ほたる館から道道867号ドライブです。

幌新温泉ほたる館です。まず源氏の宿、続いて平家の宿とありました。
画像

画像


昭和63年に訪れた時の記憶では幌新温泉は木造?モルタルの建物だったような気がしていますが・・・。

昭和炭鉱で活躍していたクラウス号蒸気機関車の展示がありました。どこかでこの写真を見たような気がしました。
画像

そのクラウス号蒸気機関車の謂われです。
画像

近くに炭鉱資料館がありました。きちんと名前を記帳してから内部を見学します。
画像

やはり浅野炭鉱(雨竜炭鉱)からみの掲示に目が行きますね。そのうちの2枚ほどを貼り付けます。
画像

画像


炭鉱記念館は私一人が訪問者だったような気がします。でも、蒸気機関車クラウス号は人気がありますね。
画像


幌新温泉から旧浅野炭鉱市街、つまり沼田ダム、ホロピリ湖を目指します。
画像

大型ダンプカーは石炭運搬用のダンプカーです。

道道867号を達布(たっぷ)に向けて走ります。

まもなく沼田ダムの管理事務所と沼田ダムの堰堤が見えてきました。ここは黙って通過します。

さらに行きますと、まもなく、ホロピリ湖記念公園が見えてきます。観光客は私一人のようです。
画像

急な階段を昇ります。小高い丘の上に記念公園のモニュメントがあります。昇ったあとで階段下を写します。
画像


沼田ダム記念碑です。この旧浅野炭坑ブログを書き始めるきっかけになったモニュメントがありました。
画像

沼田町浅野地域史跡図です。
画像

沼田町昭和地域史跡図です。
画像

何度もブログの写真でお目にかかっていましたが、このようなものとの実感です。ましてブログの中で浅野地域史跡図はもうブランクのままではありませんからね。どなたが住んでいて、どんな施設やどんなお店があったこともわかりましたからね。

ホロピリ湖の秋色です。湖上には舟一艘浮いておりません。静かです。
画像

画像


ホロピリ湖を目に焼き付け、さらに幌新太刀別川上流を目指します。道路をすれ違ったのは石炭を満載したダンプ、乗用車とバイク1台ずつでした。静かな閑かなホロピリ湖畔のドライブです。

まず、ブログに記載したこともある留萌鉄道の橋梁跡を見つけました。今でも春月橋から見えるのですね。
画像

春月橋です。ここから留萌鉄道橋梁が見えると「鉄道廃線跡を歩くⅦ」に宮脇俊三さんが書いておりました。今回は私、ふらぬいが自分の目で確認したことになります。
画像

幌新太刀別川の流れです。流量は最近雨続きで多いのかも。
画像

新東(あずま)橋です。ホロピリ湖が出来て新しく幌新太刀別川に架かった橋なのでしょう。
画像


新東橋から、昔浅野の住人が利用したであろう東(あずま)橋が見えました。
画像

さらに上流を目指します。宝沢橋との文字が読めます。
画像

相変わらず幌新太刀別川の流量は豊です。
画像

太刀別工事現場との掲示を見て幌新温泉を出てこの道路をもう1時間近く走ったことになりますので、戻ることにしました。

昭和63年8月21日の思い出の地、幌新温泉を起点に旧浅野炭鉱の街が沈んでいる、秋のホロピリ湖を眺めながら昔、若かりし頃を偲んでのドライブだったような気がします。

幌新温泉ほたる館、炭鉱博物館、沼田ダム、ホロピリ湖記念公園、さらに思い出の春月橋(しゅんげつきょう)、新東橋(しんあずまばし)、宝沢橋(たからざわばし)、太刀別(たちべつ)の工事現場?近くまで車を走らせ秋のホロピリ湖畔ドライブを満喫してきました。
今回、浅野の街が沈んでいるホロピリ湖を眺めてもあまり涙は出てきませんでした。沼田ダムのホロピリ湖を今回初めて自分の目で見た訳ですが、もうこの光景は写真で何度も見慣れているとの感慨しか持てませんでした。約60年前まではこの湖に沈んだ浅野の街で遊びまわっていたのだとの実感も湧きませんでした。ただ美しい北海道の秋のホロピリ湖の佇まいでした。時々石炭を満載したトラックとすれ違いました。露天掘りで石炭を掘り出している場所がホロピリ湖に流れ込む幌新太刀別川のさらに上流にはあることを実感しました。幌新太刀別川の流れ、この流れは、私、ふらぬいが住んでいた60年まえと同じように流れていると、少し詩人になりました。そんな詩人に、美しいホロピリ湖畔の沈黙を破るトラックの騒音に昔の炭鉱のヤマの喧噪(賑わい)を思い出すこともありました。小さな子供でしかなかった、私、ふらぬいがそんなこと考えていた筈はないのですけどね。でも、石炭を満載したダンプカーに昔の炭鉱、ヤマを思い出していたことだけは確かでしたね。

春月橋から留萌鉄道橋梁の残骸?をしみじみと眺め、また、新東橋の上から、かって浅野の住民が通ったであろう(旧)東橋を見ることができました。また、宝沢橋(この橋は昔と同じかも)から雨で水かさを増した幌新太刀別川の流れに目をやり、この幌新太刀別川の流れは、悠久の流れと、ふらぬいがほろっとする場面もありましたが・・・。

多分もう、これから自分の目に焼き付けることのない幌新太刀別川の流れ、ホロピリ湖の秋色(愁色)に小一時間浸ってきました。私が訪れた時間帯にはどなたもホロピリ湖の訪問客はおりませんでした。

私自身、もしかしたら、一期一会、千載一遇の出会いがあるかもと、ほんの少し期待はしてはおりましたが、訪れる人がどなたもいない秋のホロピリ湖ドライブでした。

ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ さようならの向こう側、のブログでした。

ホロピリ湖の見晴台が昔の曙町の高みにあったら良かったのにと考えてしまいました。旧浅野炭鉱の街を一望できる場所にです。曙町方面に分け入る道もありませんでしたが。今回、ホロピリ湖の水量は豊かでしたが、水量が少ない時には道路であったところや施設の痕跡も見えてしまうとか。あまりそのような光景は見せたくないのかも知れませんが・・・。沼田ダムは農業用水として使うために建造されていますが、本当に必要なダムだったのでしょうか。近くにある同じ農業用水として使われる幌新ダムは見学の時間はなかったのですが・・・。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 6

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス

この記事へのコメント

どさんこ
2014年07月12日 14:49
子供と父の故郷の話題になり、検索していたら、ここにたどり着きました。
父は、沼田町字昭和という小さな炭坑町で生まれ育ちました。
旧浅野炭鉱から、近くです。
今も昭和には、行こうと思えば行けるようですが、一度沼田町に立ち寄った際に行こうと思いましたが、装備なくしてはいけないと断念しました。
それから、父からは行きたいと聞きませんが、行きたいようです。
写真等見せていただき、こういった生活していたんだ、と垣間見ることが出来ました。
ありがとうございます

2014年08月04日 22:09
<お礼>
ふらぬい様
久しぶりにコメントさせていただきます。
7月18日に札幌で開催された第五回浅野ふるさと会に出席いたしました。同級生四名をはじめとして、多くの懐かしい方達と会うことができました。詳しくは私のブログに記載しました。ここまで探しあてることができたのは、元はと言えばふらぬい様のブログのおかげです。本当にありがとうございました。
ブログは今後も続けていきますので、これからもよろしくお願いいたします。
2014年08月06日 21:14
あさのQ様、
7月18日の第5回浅野ふるさと会に出席されたこと連絡いただきまして有難うございます。あさのQ様の4年越しの悲願が実現したことお喜び申し上げます。今回幹事の大役を果たされた「浅野の山親父」さんにも大感謝ですね。札幌にて、ブログ仲間の「浅野の山親父」さん、「しーちゃん」さん、「板金屋の息子」さんとの出会い、また、懐かしい同期、同級の仲間との再会、そして故郷を同じくする浅野ふるさと会メンバーとの出会い、如何ばかり嬉しく楽しかったか目に浮かびます。本当に念願かなって良かったと思います。私の浅野時代の同級生、昭和35年浅野小学校卒が3名参加していたとありました。私は浅野小学校は卒業しておりませんが、前回、第4回の幹事、O島君が参加していたら嬉しいと思いますけどね。あさのQ様におかれましてはこれからもお元気でご活躍ください。また、時々ブログを拝見させていただきます。私の浅野炭坑のつれづれブログ、書く頻度はすっかり少なくなってしまいましたが、いつか書き加えることがあると思いますので、よろしくお願いします。

この記事へのトラックバック