ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、シットリ

今回の「ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ」は”シットリ”です。今回で26回目になります。なんで”シットリ”ですかとお訊ねになりますよね。”シットリ”、”しっとり”とは「落ち着いていて風情があるさま」を表します。私、ふらぬいのブログは團伊玖磨さんの名作「パイプのけむり」の26巻のように、落ち着いていて風情があるのでしょうか。そんなこと、ないことはないとは言えませんよね。(三重否定? ゴメン) でも、是非、團伊玖磨さんの名作、「パイプのけむり」にあやかりたいと考えて名付けて(順番付けて)おります。團伊玖磨さんの名作、「パイプのけむり」は第27巻の”さようなら”まで続きます。「ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ」、次回の27回は”さようなら”です。と言うことは次回でこの「ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ」が終了してしまうことになります。本当に終わりになってしまうのでしょうか。多分そんなことないのかなと思いますが・・・。

「ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ」の第1回は2009年の11月でした。個人的には空知郡上富良野町(上川支庁です)に住んでいた時期が長かったものですから、故郷、ふるさとはこちらと決めつけておりました。でも、ひょんなことからあるブログで見つけた生まれ故郷の沼田町浅野地域史跡図の何も書かれていないボックスだらけのブランク地図に心惹かれました。この地図の空白を埋めていきたい。出来れば何年かかってもいいと決意しました。言い過ぎ? 書きすぎ? かな。
 
私、ふらぬいの生まれ故郷、沼田町浅野地域史跡図の空白、ブランクを埋める、そのためには色々な情報を寄せ集めていくと面白いのかも・・・、なんて大胆にも考えてしまったのでした。ふるさと浅野炭鉱、浅野の町の心の中の地図は昭和30年7月、家族と一緒に新雨竜駅を離れた時で止まって?いました。しかも、私、ふらぬいは小学生2年で7歳でしたから、そもそも基本的な情報に乏しく浅野地域史跡図の空白を埋めることは大きな困難が伴うものでした。自分の頭の中にあるものと言えば、自分が浅野在住時代に目に焼き付けた本当に狭い範囲の浅野炭鉱の市街地の景観、道路や橋、建物、炭鉱のヤマと曙町の山、谷そして真っ黒い水が流れていた幌新太刀別川です。、そして、浅野小学校1、2年時代の同級生、兄たちの友人、家族の知人と遊んだ領分(勢力範囲やなわばり)だけだったのですから・・・。

そんな私、ふらぬいにとっては浅野炭鉱時代の幼少の私の目や耳、記憶だけで地図のブランクを埋めていくのは大変な作業でした。とは言っても、浅野地域史跡図のブランク埋めは、私が主導してやっていたものはほとんどなかったのですけどね。その史跡図のブランクを埋める情報の多く、というかほとんどを浅野炭鉱を故郷とされるブログ仲間の皆さんが提供してくれたものでした。ずっとその状態が続いておりました。

そんな折も折り、”浅野ふるさと会”というふるさと会が道内、札幌やその近郊、沼田町幌新温泉などで行われていたのです。”浅野ふるさと会”、その会があることは話には伺っておりましたし、ブログでも何回か取り上げました。
その”浅野ふるさと会”ではすでに浅野地域史跡図のブランクすべてを埋めた浅野地域明細図という地図情報がそのふるさと会で参加者に配布されておりました。しかも、その明細図を見ると浅野に居住する世帯主の名前まで分かってしまうという詳細情報が公開されていたのでした。

それらの情報が前回の「どっこい」ブログで紹介した「浅野の山親父」さんのブログでした。今回も「浅野の山親父」さんと「あさのQ」さんのブログに掲載されていた写真をもとにつれづれぶろぐします。

「浅野の山親父」さんのブログ
http://asano-numata1948.seesaa.net/
の写真からいきます。
それは、
「浅野の山親父」さんの3月2日付けブログにありました。
http://asano-numata1948.seesaa.net/archives/20130302-1.html
に昭和30年4月に浅野小学校に入学した1年生の集合写真が掲載されておりました。

私、ふらぬいが浅野小学校に入学したのが昭和29年4月ですから、その次の年に入学した1年生の集合写真ですね。私よりかなりお若い「あさのQ」さんのブログでは小学校の集合写真の確認はできていました。でも、私とほぼ同時代にもこのような学年毎の集合写真が浅野小学校でもやはりあったのですね。私の記憶にはまったくありませんでした。私が持っている上富良野小学校の卒業アルバムですが、その1、2年生の集合写真にはもちろん私の写真はありません。私は小学校3年から集合写真に学友と一緒にその存在が写真で確認できるのです。これは仕方のないことで、私、ふらぬいは2年生の2学期は上富良野町草分にある創成小学校に通学していました。3学期に上富良野小学校に転校したからです。

でも、びっくりしましたね。実は「浅野の山親父」さんのブログのこの写真の中に、わがふらぬい家と親交があった曙町のM本さんのお嬢さん(さちえさん)と彼女のお母さんが写っているのでしょう。どこか似ている方は見つかりましたが、確実にこの人との確証は無理だったようです。でも、私は横浜に出てきてからM本さんのお嬢さん(私より1歳年下)と彼女の弟(よしふみ君、彼女より2歳年下で、彼は私の浅野ブログに私と私の兄たちと一緒に写っています)には東京でお会いしました。私が通信機メーカに就職してすぐでしたが、彼女は既に、私より先に東京で食品会社に就職しており、弟さんが大学に進学してこちらに出てきたので二人に会ったのです。懐かしく、浅野の話をたくさんしたように思いますが、その時に実際どのような話をしたのかもう今ではあまり定かではないのです。彼(女)らとは、何度か会って、私の仕事か彼女の仕事かが忙しくなって会うことができなくなったような気がしています。あっ、そういえば、福島県楢葉町の竜田にどちら(ふらぬい、M本両家)も親戚があったとどこかのブログでも書いたことがあったような・・・。と言っても自信がないな。書いたのかしら・・・。

それと「あさのQ」さんのブログ
http://08046784.at.webry.info/
の3月2日付けブログに
http://08046784.at.webry.info/201303/article_1.html
第2回浅野小、中学校同窓会の資料が貼り付けられておりました。

「浅野の山親父」さんがブログで紹介していただいたものもありましたが、まとめてウェブリーアルバムにて公開してありました。”浅野ふるさと会”と”浅野小・中学校同窓会”はもしかしたら同じふるさと会かも知れませんが、あまり気にはしません。

その第2回浅野小・中学校同窓会会報ブログに貼り付けられておりましたウェブリーアルバムです。
http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/302218000d6baed0582c610cd42ffab118c63f430/842139013256881631

「浅野の山親父」さんがブログに貼り付けていた写真も紹介されておりますが、当時の浅野の賑わいぶりがしのばれます。「あさのQ」さんのコメントもうれしいですね。

浅野炭鉱の懐かしい雄姿の紹介、感激しました。ありがとうございます。「浅野の山親父」さんのブログで浅野の街の佇まいもかなり分かってはおりましたが、このような資料がふるさと会では配布されていたこと分かりました。もう浅野炭鉱の街、明細ではっきりしました。
個人的に”吉信(よしのぶ)”君の家も多分そうであろうと予想したところにありました。”孝一(こういち)”君はあそこらしい。そして、曙町のM本さんは小学生(6年)の時に訪問しておりましたので分かっていました。曙町にもう一人、同級生の女の子、K原さんのお家もありました。彼女(としこさん?)が浅野小学校一年生の劇(写真がありました)で私たち(ねずみ?)に注意をしてくれていたお母さん役だったような・・・。でも自信がないな・・・。
それと浅野地域明細図でその建物の名称を思い出しましたが、”さわやか”ブログで
「坂道の途中から右手に道路が伸びていた。その道をまっすぐ行ってつきあたりに大きな建物があった。その建物に私の男友だちがいた・・・ような気がする」と書いた大きな建物が栴檀(せんだん)荘、こんな難しい漢字の名前だったのですね。私は大きなお屋敷とずっと考えていましたが・・・。何を目的とした建物だったのでしょうか?
その栴檀(せんだん)荘の住人?のY田君も友人の一人だったように思います。彼と一緒にここに橋があった筈の橋を渡ってお米の配給所の近くに行って遊んだ記憶があります。その橋にはもしかしたら水道管?が敷設されていたようで、その水道管の脇を人が通行できたものだったかも。そして、その橋を渡って急な坂を上り右折すると栴檀荘の敷地に入ったような記憶がおぼろげにあるのですが・・・。どうしてこんなにこの橋のことが気になるのかはわかりませんが・・・。

私、ふらぬいには昭和63年8月21日、母、長兄、兄嫁と一緒に上富良野から車で出掛け、目に焼き付いた浅野の街の有様(廃墟そのもの)がずっと頭に残っております。ですから、浅野炭鉱の町を廃墟として紹介されるブログがどうしても好きにはなれないのです。いくらホロピリ湖の美しい風景やその佇まいを称賛されてもどうですかとね。またホロピリ湖にふれ、かって大きな炭鉱の町、浅野のこと、があって、この湖底に静かに沈んでいる、とブログ詩人になっていただくのはよろしいのですがねと自虐的になったりしますから・・・。
そのようなあるブログに沼田町浅野地域史跡図が載っていた、とあるブログを目にして、もうすでにホロピリ湖の湖底に沈んでしまった生まれ故郷をなんとか生き返らせたい?そんな思いでブログを綴ってきたのです。そこまで大それてはいないかも・・・。

はじめは、少しずつではありますが、ふるさとを、ああだった筈、もしかしたらこうだったかも、とブログ仲間のアドバイスを得ながら思い描き、思い浮かべてきました。私の頭の中には今回「浅野の山親父」さんや「あさのQ」さんのように建物の姿、形を思い描けるほと浅野の町を歩いたわけではありません。浅野を離れたのが昭和30年の7月でまだ誕生日前ですから7歳でした。炭鉱住宅はこんな感じだったかもしれないけど、このようにぎっしり建っていたのかあまり自信はないです。行動範囲は7歳とはいえ本当に狭かったからです。あっ、こんなにもはっきりと浅野地域明細図で浅野の街が分かってしまって感激しているのですよ。でも、ふらぬい家の名前は明細図にはありませんが、確かにあの時期、あの場所のあの家に住んでいたのは確かでしたからね。
私は沼田町浅野地域史跡図が好きですね。だってブログの仲間の家は”ここ”とわかるのですからね。まして私、ふらぬいの家は2か所(大原町の住まいは緑色、曙町のそれは赤色で着色)もあるのですから・・・。やはり貼り付けますね。

画像


いつも付け加えていますが、相変わらず更新されていないことお詫びします。怖い吊り橋近くに瑞巌(ずいがん)寺、新雨竜駅の木材工場側に妙勝(みょうしょう)寺、浅野郵便局の側(そば)に沼田町役場の出張所がありました。栴檀(せんだん)荘も浅野地域明細図で思い出しました。

浅野地域明細図で浅野炭鉱の街がすべてわかったような気がしましたね。と言うことは私、ふらぬいを始めブログ仲間の皆さんで沼田町浅野地域史跡図のブランクを埋めてきた作業は無駄であったのか?と言いますと、必ずしもそうではありません。なんと言ってもそれは浅野炭鉱を故郷とする者の”心の地図”でもあったからです。なんとなれば浅野に住んでいた、その時、その場所で自分の人生の一部が営まれていた証(あかし)になるからです。などと書きますと、私のブログが”シットリ”してきたのでしょうか? それとも、もっと”シットリ”というか、皆さんからもっと”しっとり”ならぬ”しっかり”せよと励まされているように思えますね。あまり進歩が無いとね。確かにそのような気もしますがね。次回”さようなら”はもっと頑張りますからね。
失礼しました。

ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、シットリでした。

今回も「浅野の山親父」さん、「あさのQ」さんのブログを使わせていただきました。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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この記事へのコメント

浅野の山親父です
2013年03月12日 18:53
私より一学年上と云う事ですが、私の従兄と同い年ですね
もしかしたら、小学校入学時に写真に一緒に写っているかも知れませんね。私のブログで貼付した地図にはつれづれ
先輩の家にお名前が乗っていなかったとの事ですが、
昭和30年に浅野を去られたそうですが、そのすぐ後
32、3年頃に作られたと思われます。
東町に在った浴場や大原グランドに在った体育館が
書かれてありませんでしたからです。
そして、曙に住んでいたM本(さちえ)さんは私の
小学校、中学校時の同級生で私のマドンナでした。
O原さんは確か、二人姉妹でお姉さんが一歳か2歳上か
でした。妹さんは一歳下で可愛い方でした。
まだまだ、ブログを止めることなく、浅野の思い出を
発信下さるようお願いします。今後とも宜しく
お願いいたします。
2013年03月14日 21:06
「浅野の山親父」さん、コメント有難うございます。ブログに貼付された浅野の街の写真が私のおぼろげな記憶に光を当ててくれたように思います。また、浅野地域明細図はやはりあったんだよね、と目から鱗の気持ちでした。私の浅野小学校1,2年の集合写真はもし有ったとしても同級生も先生も名前は思い出せないと思います。私の小学1年生の写真、駅の近くの写真館、佐藤写真館?で撮ったものがあります。もちろんブログ貼付はしていません。それと曙町の(さちえ)さんが、山親父さんのマドンナとは”縁は異なもの”の感がしますね。嬉しいです。K原さん情報も有難うございます。沼田高校出身の大学同級にM山君。大学及び会社の先輩でM脇さんもおりました。続きの続きブログで紹介しました。これからも浅野炭鉱のことなどブログで教えて下さい。こちらこそよろしくお願いします。

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