真田幸村の最期に新説、越前松平家の古文書で発見をつれづれぶろぐ

大坂夏の陣で、あの真田幸村を討ち取ったとされる福井藩士西尾仁左衛門の手口が越前松平家の古文書集「松平文庫」で発見されたと、昨日、2月25日読売新聞が報じておりました。なんと、400年前の事件が古文書で明らかになったそうなのですが、真田ファン、真田幸村大好きな私、ふらぬいは「何をいまさら古文書で発見」とかなり違和感を感じましたね。あの、歴史の真実に迫るのに、「それはダメ」、「こんなやり方はいけない」などと言う気は毛頭ありませんよ。でも、知りえる立場にあった関係者?(ばかりではない?)が古文書集「松平文庫」で発見とはねぇ、とふらぬいは考えてしまいましたが・・・。

あの新規資料が発見されたのなら何も言うことなど無いでしょうし、”歴史の闇に光が当たった”とのことで素晴らしい発見と思いますけどね。箸墓(はしはか)古墳、やっと許可された発掘で卑弥呼の存在が明らかになったとか。何々天皇、誰々皇后の墳墓であることが確認されたとかですね。いくら新説とは言え、関係者、越前松平家が400年も黙って?いて、いまさら新説なんておかしいと思いますけどね。あっ、越前松平家関係者も非難、揶揄するつもりはありませんからね。

私、ふらぬいはかって本籍が長野県上田市にあったものですから、真田家には大いに関心があります。真田家の歴史、歴史小説に多大な興味をもって接してきました。また、曽祖父が長野県上田市で医者だったと父母から聞いてもおりました。しかも先祖は真田家のお抱えの医者だったとか。本当かどうか真偽は分かりませんよ。あっ、そのブログ貼り付けます。パスしていただいてもいいですよ。

ふるさと探訪、元本籍、長野県上田市常磐城のつれづれぶろぐ
http://470830.at.webry.info/201003/article_1.html

それで先祖や家系、家紋を調べている・・・。そのようなこともブログに認めたこともありました。
さらに、
イカが空を飛ぶブログで真田幸村の家来、猿飛佐助のことを書きました。こんなふうにです。
「彼(猿飛佐助)は戦国時代の忍術家、戸沢白雲斎に忍術を学び、真田幸村に仕えて大阪夏の陣で活躍しましたね。真田十勇士の一人で、実在? 架空?の人物でしたでしょうか」
とですね。あまり関係はありませんね。でも、真田幸村は歴史上に存在した真の勇者、戦術家であり武士中の武士であったのです。もちろん、真田に敵対する(した)ものが反対の感慨をもつことに否を唱えるつもりもありません。唱えているかも知れません。つれづれぶろぐですからね。真田幸村の紹介からいきますね。

真田幸村(1567~1615):
大坂夏の陣で徳川軍の本陣に迫り、家康を窮地に追い込んだとされ、「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれた。家紋は「六文銭」。幸村を題材にした物語は多く、大正期には忍者・猿飛佐助ら「真田十勇士」を従え、家康に挑んだとする少年向けの読み物が人気を博した。池波正太郎の歴史小説「真田太平記」は今も読み継がれるロングセラーになっている。関ヶ原の戦いに出向く徳川秀忠軍勢の戦場到着を遅らせた戦術は見事でした。

私は池波正太郎の歴史小説「真田太平記」全巻を(週刊朝日で)読破しておりますので、真田幸村の最後はどうであったろうとの場面も目に浮かびます。NHKテレビで放映され「真田太平記」もすべて観ておりました。真田幸村は徳川家康からも敵ながら天晴(あっぱれ)な武将との賛辞までもらっているのです。

長野県上田市の池波正太郎真田太平記館紹介ページがありました。
http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/sys/20091103000001261.html

実は先日来、浅田次郎の「憑神(つきがみ)」を読んで、昨日読了したのですが、大坂夏の陣の戦いにて、主人公、別所彦四郎の先祖が、徳川家康の影武者となり、真田方に徳川家康の身代わりで討ち取られたとの一文がでてくるのです。内容は主人公に付き纏う、貧乏神、疫病神、死神の憑神が別所彦四郎に取り付いて物語が展開するのですが・・・。面白くてやがて哀しい物語なのです。大坂夏の陣からブログがそれました。戻します。

真田幸村の最期に新説とのブログでしたね。もともと徳川家康始め徳川方武将が敵ながら天晴と、真田幸村の戦いぶりまた彼の最期を褒め称えたと伝えておりましたね。それで歴史小説における真田幸村の最期は、もう皆さんご存知のように、ほぼ同じようなものだったのですけどね。どうしたものか・・・。

私、ふらぬいは越前松平家の今回発見の古文書、それらをすべて解読しておりませんので、はっきりは分かりませんが、このように考えてしまったのです。「だれか名前もわからぬ武将(後で真田幸村と分かるのですが)を後ろから槍でつついて殺した」などとの古文書が出てきたとの報道のようです。もしかしたら、ちと違っているかもしれません。でも、そんな古文書が出てきたのでしょう。徳川家康が、勇猛果敢な武将である真田幸村を、後ろから槍で刺して殺したことでは報奨は出せぬ。だから歴史小説真田太平記の筋書きのようにしたのだと思いますけどね。でも、事実は誰彼も確認せず後ろから槍で一突きと、歴史事実はやはりそうだったかとも思えるのですがね・・・。

もともと、福井藩士すべてに真田幸村とはこのような武将との似顔絵(当時は写真などありませんでしたから)があったかも知れませんが、戦に疲れ、矢折れ、刀尽きた状態の彼、真田幸村では分からなかったと思いますけどね。でも、徳川家康がこのように後の福井藩主・松平忠昌の戦功を讃えて歴史事実、史実としたのだから、そのままにしていたほうがよかったのではと思いますけどね。

それで、私、ふらぬいがちと”イラっと”した記事が昨日、2月25日の読売新聞紙面を飾りました。 

「1615年の大坂夏の陣で戦死した武将・真田幸村の最期を記した覚書が、越前松平家に伝わる古文書集「松平文庫」(福井県立図書館保管)から見つかった。
同家の家臣と戦って討ち取られたと記されており、戦わずして首を差し出したとの定説を否定する新説だ。
幸村は、大坂夏の陣で徳川軍の本陣に迫って家康を窮地に追い込み、「日本一の兵つわもの」と呼ばれた。覚書は、徳川方で参戦した、のちの福井藩主・松平忠昌の戦功を記しており、福井市立郷土歴史博物館が昨夏、文献調査で発見した。
幸村の最期は「もう戦う気はない。手柄にせよ」と、のちの福井藩士、西尾仁左衛門に首を差し出したとする逸話が知られており、徳川幕府の史料にも残る。
だが、覚書では、仁左衛門が、相手を幸村と知らないまま槍やりで戦い、討ち取ったと記述。後に、家臣が陣中見舞いに来て、幸村の首とわかったとしている」とですね。

歴史は勝ったものが恣意的に、自分勝手に書きますので、どのようにも書くことができるのです。ですから歴史は勝ったもの勝ちで負けた相手をどのように貶めてでもかけるのですけどね。歴史小説は小説家が勝った側、負けた側の立場になってどちらも記述することができ、(好き勝手?に書けて)面白いのです。ですから勝ったほうが書いた古文書が正しいものとは限りません。正しくないとも言えません。まして今回のように400年前の古文書から歴史的事実が分かったとはならないのです。ただ単に小説家または単なる歴史好きに新しい材料を与えたとのことにしかならないのです。

その西尾仁左衛門の記述がありました。こちらも貼り付けます。

西尾仁左衛門:
西尾 宗次(にしお むねつぐ、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は仁左衛門。父は宮地久右衛門。初め宮地久作、後に西尾久作。
大坂夏の陣で越前松平家鉄砲組に属し、安井神社の境内にて休息中の真田信繁(幸村)を討ち取る。その功から、徳川家康及び徳川秀忠父子からは褒美を、松平忠直からは刀などを賜った。 一方、自身の功績を誇張して報告した、逆にどのように討ったか黙して語らなかった、拾い首であった、討ったのは影武者である望月宇右衛門であった、などの理由から家康の不興を買い、褒美を貰えなかったという逸話も残されている。

またまた影武者がでてきますね。今度は真田幸村の影武者、望月宇右衛門ですね。真田幸村の影武者は大坂夏の陣では二人の存在が確認されています。穴山小助と望月宇右衛門ですね。真田家の関係資料「真武内伝」に出てくるそうですが、これも信憑性に乏しいとか。

真田幸村には影武者が7人?もいたとか言われておりますね。私、ふらぬいは真田十勇士は存じ上げておりますが、といっても、これは幼少期、漫画で読んでおぼえたのですがね。名前も言えますよ。でも、もう無理かな? ですからここでは書きませんがね。
それとですね、徳川家康の影武者ですが、なんと30人も居たそうな。浅田次郎の「憑神」でおぼえましたよ。当時の影武者対決はすごかったようですね。「敵の大将を討ち取った」と敵方が「勝どきの声」をあげているのに、我らが大将はこちらで元気にしておられるなんてことが昔の戦場ではよくあったのではないでしょうかね。

古文書の影武者、あの偽物(にせもの)とは言いませんよ、書き写しているうちに少しずつ恣意的な部分が付け加えられていったのではないかと思いますね。400年前の古文書も400年前とは限りませんからね。だって、何年か後に書きとどめた小説がいつの間にか、何年か後に古文書になっていないとは限りませんから。
あっ、今回発見?された越前松平家の古文書集が偽物なんて一言も言っておりませんからね。

真田幸村の最期に新説、越前松平家の古文書で発見をつれづれぶろぐしました。

家康の影武者、真田幸村の影武者、影武者対決でわかりにくいブログだったように思いますね。いや違います。古文書の真偽でしたね。こちらも真偽分かりにくいとね。失礼しました。

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