「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」と北京の頤和園(いわえん) 

先日来、浅田次郎の「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」(講談社文庫)全4巻を読んでおりまして、昨日それらを読み終えました。あの中国の西太后(せいたいごう)が活躍する清の時代の終わり、科挙登第による官僚、宮廷内の宦官が大清帝国の朝廷を支えます。私、ふらぬいのつたない中国の歴史知識の片隅にある李 鴻章(り こうしょう)、袁 世凱(えん せいがい)、そしてあの伊藤博文までもが登場します。英仏独露各国に蹂躙される清国、そして日清戦争に敗れ、大清帝国建国当時の面影などまったく見られない、清朝の黄昏(?)の時代がその小説「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」の背景なのです。

かなり難しい漢字がならび、ちとくどい説明になりますが次のようなあらすじです。つれづれぶろぐにあまり関係ありませんのでパスして頂いても結構です。
「中国の清朝末期、貧家の子、李春雲(春児)は糞拾いによって生計を立てていたが、貧しい家族のために自ら浄身し、宦官となって西太后の下に出仕する。一方、春児の義兄で同郷の梁文秀(史了)は、光緒12年の科挙を首席(状元)で合格し、翰林院で九品官人法の官僚制度を上り始める。
清朝の内部では、政治の実権を握っている西太后を戴く后党と、西太后を引退させて皇帝(光緒帝)の親政を実現しようとする帝党とに分かれ、激しく対立していた。后党と帝党の対立は、祖先からの清朝の伝統を守ろうとする保守派と、衰えた清朝を制度改革によって立て直そうとする革新派(変法派)の対立でもあった。両者の対立は、やがて西太后と皇帝の関係にも、深い溝を生んでゆく。
春児は西太后の寵を得てその側近として仕え、一方、文秀は皇帝を支える変法派若手官僚の中心となる。敵味方に分かれてしまった2人は、滅びゆく清朝の中で懸命に生きていく。
最終的に小説では、西太后派の后党が皇帝派の帝党に勝利し、文秀は日本に亡命し、春児は引き続き西太后を支えることになり、西太后のお供をして紫禁城に戻る前に頤和園の万寿山仏香閣に登り、西太后とともに昆明湖を眺めやるのでした」

こんな感じですね。このような説明は不要だったかも・・・。

小説のストーリーを面白く書き記すのは作家、作者の手腕であると思います。しかも、歴史小説(?)の面白さは、作家、作者の時代(歴史)考証と作者が考えた架空の登場人物にあるのではないかと思いますね。この「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」では、架空の人物と歴史人物が入り乱れ(どこまでが史実でどこからが物語かと)活躍します。

私、ふらぬいは歴史と虚構が入り交じり、小説の中に引きずり込まれて、もがいていました。もしかしたら、歴史ってこうだったのかと考えを改め兼ねないところまでいきましたよ。だって、最終章では、私、ふらぬいが西太后になっていたのですからね。
この浅田次郎著「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」は、発売当時も評判になった小説でもありました。また、つい最近、NHK-TVでも放映されていましたので、観た方も多いと思います。西太后を、高倉健主演映画「あなたへ」の高倉健さんの亡き妻役の田中裕子さんが演じていましたね。私はそれだけしか記憶にないのです。当時はあまりNHK-TVの「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」に興味が無かったようです。
個人的に浅田次郎さんの小説やエッセイはよく読んでいますが、なぜか「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」は読んでいなかったので、なぜかどうしても読みたくなったのです。ですから、文庫本4巻を図書館で借用し、非常に興味をもって集中して読みました。そして、清朝末期、このようなこともあったなと歴史的事実やその裏でもしかしたら行われていたであろう事柄(小説の中身のこと)など、興味を抱きつつ読み進め、そして感銘を得て読み終えました。個人的に中国モノは好きなんですね。韓国モノにはあまり興味はありませんが・・・。

それで、よく言われることですが、小説の冒頭の文に、その小説の読者を惹きつける文言を書き連ねるのは小説家の手腕、技巧、常道、王道?とも言われます。(私が勝手にそう言います) 川端康成の雪国、「国境の長いトンネルをぬけると雪国であった」とか、島崎藤村の夜明け前、「木曽路はすべて山の中である」もそうですね。そればかりではありません。司馬遼太郎の坂の上の雲の冒頭部分も読者を惹きつけます。あまり小説名を挙げて、冒頭部分を書き出してもきっと、ふらぬいのことですからボロが出ますので、この辺でやめますがね。
ところが、小説の最後の章の冒頭に読者を惹きつける文章を書き連ね、その文言を忘れ無きものにしてしまう小説家もすばらしいと私、ふらぬいは思うのです。今回、読み終えた浅田次郎「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」にその素晴らしい文章(私、ふらぬいがそう思うのですよ)を見つけてしまいましたので、つれづれブログすることにしました。後から、なんだそれかよ、なんて言わないで下さい。きっと仰ると思いますがね。

その浅田次郎著「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」最終章、第7章福音 八十一は以下のように格調高く始まります。

「頤和園(いわえん)におそい秋がきた。
その日、三たび執政の高みくらに登るために紫禁城(しきんじょう)へと回らん(天子が車をめぐらして、宮城にかえること)する予定であった西太后慈禧(せいたいごうじき)は、ふいに万寿山への登高を思い立った。政変によって中止された月おくれの重陽(ちょうよう)のならわしを、昆明湖の北にそそり立つ仏香閣の楼上ですませて行こうと言いだしたのであった。中略。
楽寿堂(がくじゅどう)を発つとき、太后は露台にかけつらねた夥しい鳥籠から、放生だと言ってすべての小鳥を解き放った。中略。
きらびやかな拝雲殿(はいうんでん)の前で太后はいったん大らん駕を下ろし、椅子かごへと乗り替えた。そこから万寿山(まんじゅさん)上の仏香閣(ぶっこうかく)まで長い階段を登る。見上げれば担ぎ手の宦官たちが思わず溜息をつくような九丈九尺の楼閣が、秋天を衝いて聳えていた。中略。
白大理石の基壇の上に八角四層の楼を据える仏香閣のたたずまいは美しい。そこに登るたびに太后は、乾隆(けんりゅう)様のお建てになった元の仏香閣の美しさは、こんなものではなかった、と嘆いた。中略。
太后は海軍の建艦費を、頤和園の修復費に充当してしまったと言われている。だから旧式の軍艦しか持たなかった北洋艦隊は日本になすすべもなく敗れ、後に残った船は昆明湖に浮かぶ石舫(せきぼう)だけだと言われた。後略」

もしかしたら、「頤和園(いわえん)におそい秋がきた」だけでも良かったのかも知れませんが、かなり長く引用しました。私、ふらぬいの意図と異なり、中略そして後略とした部分に著者、浅田次郎氏の思いがこめられた文章もあったのかも知れませんが、そこはつれづれぶろぐの筆者? ふらぬいが思い切って、というか勝手に? 略してしまいました。また、著者、浅田次郎氏はほとんど中国語読みでルビを打っておりました。私、ふらぬいも中国語読みはなんら支障はないのですが、日本語読みのルビに変更しています。

でも、私のブログを読んでおられる方の中に、私、ふらぬいの”たくらみ”があるのを見破った方がおられるかも知れませんね。中国北京にある名園、あの頤和園のことを書いていますからね。

そうです、私が旅の想い出その21で、中国 北京の頤和園、雍和宮、孔子廟を紹介したことがありました。その北京の頤和園を訪れて、ブログで紹介した時の状況が、この「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」最終章、第7章福音 八十一の冒頭の文が、そっくりそのまま重なるのです。

そのブログを貼り付けますからね。確認して頂いてもいいですよ。

旅の想い出その21 中国 北京の頤和園、雍和宮、孔子廟
http://470830.at.webry.info/201005/article_13.html

北京頤和園紹介のホームページです。旅の想い出ブログにもありますが、頤和園を一番分かり易く紹介しています。
http://www.mapbinder.com/Map/World/China/Beijing/Iwaen/Iwaen.html

それで、「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」最終章、第7章 福音 八十一の冒頭では、頤和園にお住まいの西太后慈禧は万寿山にある仏香閣を目指します。ご自分の住まいの楽寿堂を出発し、あの長い長廊を通り、右手に仏香閣を見て(いる筈)、拝雲殿に至ります。そこから階段を登り、万寿山上の仏香閣に至るのです。西太后慈禧は仏香閣の建物の中から秋の美しい昆明湖を眺めるのです。それとほとんど同じ有り様、一部始終が、旅の想い出その21 中国 北京の頤和園の部分にあります。

西太后慈禧ならぬ、私、ふらぬいを通訳がてら引率するのは妙齢の中国美女です。旅の想い出ブログでは、西太后の楽寿堂には触れませんでした。ふらぬいは西太后慈禧ではありませんから、出発地点が仁寿門、仁寿殿で違います。というより、あまりにも、昆明湖のそばに佇む建物、玉瀾堂に興味が行ってしまったからです。それゆえ、こちらを見てから長廊に入ったのでしたね。つまり、私、ふらぬいは西太后と違い、秋の昆明湖を意識しながら長廊に入ったのです。つまり、簡単に言えば残念ながら楽寿堂を見逃してしまったのですね。ここで愚痴を言っても始まりませんけどね。

たまたま一冊の本を読んでいて、自分が旅した光景に出会うことってあるんですよね。しかも、本の主人公というか重要人物が、それが西太后慈禧です、その場面にでてくると、どうしても、主人公または重要人物を、自分に置き換えてしまうことってあるんです。今回の私、ふらぬいがそれです。

旅の想い出ブログで頤和園を紹介した時に、西太后のことは書きました。それは学校にて歴史で学び、今まで自分で学習し、知識として得た歴史上の西太后のことであって、小説、「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」に出てくる人間味あふれる西太后慈禧ではありませんでした。
ですから、旅のブログでは、この清国の名園、頤和園を大金をはたいて修復したのは西太后であり、清国の国力を弱めるべく散財した張本人なのです、と他人事みたいな文章になっていました。

でも、今回は「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」の主人公でかつ最重要人物でもある西太后ですから、頤和園をめぐる西太后の動きそのものが、著者浅田次郎の目でもあり、私、ふらぬいが頤和園巡りで経験した目にもなってくるのです。あの頤和園の長廊を歩く、そして拝雲門、拝雲殿に至り、仏香閣を眺める。そして、さらにあの急な階段を登る。あの仏香閣の高みから、秋の昆明湖を眺める。昆明湖には、あの石舫(せきぼう)として石の船が西太后の権力の象徴というより、彼女が行った施策の(善し悪しの)結果として、かつ象徴として動かぬ船があるのです。

浅田次郎の「蒼穹(そうきゅう)の昴(すばる)」を読んで、西太后慈禧になったつもりで、北京の頤和園(いわえん)に思いを馳せたブログでした。

残念ながら現在、日本人にとって中国北京の頤和園を自由に散策することは難しくなっているように思います。日本人が自由気ままに頤和園観光ができるようになりましたら是非、西太后ルートでの頤和園散策をお考え下さい。

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