ふるさと 北海道上富良野(かみふらの)町を紹介します

私、ふらぬいのブログでは第一の故郷、生まれ故郷の北海道雨竜郡沼田町浅野炭鉱の思い出ブログを数多く取り上げております。この第一の故郷は浅野炭鉱閉山後、炭鉱住宅などの建物をブルドーザで倒し除去した後、ホロピリ湖の下に沈んでしまいましたので、いくら故郷探訪のブログとして取り上げても、懐かしさだけがこみあげてくるブログなのです。まして55年以上も昔のことですからその故郷の写真なども少なく、ブログの仲間が写真を紹介してくれると、その1枚の写真から、あんなことがあったこんなこともあったと話が発展していくのです。そして、その写真に写った故郷の景色(ほとんどが白黒というかセピア色)はもう永遠に目にすることはないのです。あの故郷の山、川、森や林、湖など残ってはいるのですが、例え眺めることが出来ても、多分涙にくれるだけだと思うのです。国破れて山河あり(杜甫)などと、そこまでは詩人にはなれないかも知れません。なんと言っても理系で文才に乏しく、ブログの文章も格調に欠けるなどと言われ、忸怩たるものがあります。

そんな折り、あの「YouTube」に、第二の故郷(私、ふらぬいが小学校2年から高校3年まで住んでいました)の上富良野(かみふらの)町の紹介がアップされていました。北海道上富良野町の観光ガイドでもあるのですが、このような記録(作成するのは大変と思いますよ)が今では簡単に「YouTube」のユーザに公開されるんですね。嬉しくなって私のブログで公開させていただきます。なんと言いましても私、ふらぬいがこの「YouTube」にアップするとしたら大変な労力と費用がかかりますからね。

貼り付けますね。全部観ることになりますと20分くらいかかります。

かみふらのベストガイド
http://www.youtube.com/watch?v=txYajtHZNRk

北海道美瑛・富良野をこの夏、秋または冬にでも旅される方には良い情報と思います。でも、私の故郷、上富良野町だけですから、少し物足りないかもしれません。でも、このようなふるさとの記録を、私のブログで取り上げることが出来るのも嬉しいことなのです。

「かみふらのベストガイド」には私が小学生、中学生時代の友人も出ていますし、本当に懐かしい気がします。私はもう数回この「YouTube」を観てしまいました。上富良野町に出かけた気分になりましたよ。

これだけでブログを終わらせてしまいますと、ブログとして、ちと寂しい感じがしますので、「かみふらのベストガイド」に出てきますが、このビデオの約40年前の冬と夏、どちらが先だったかは今では不明ですが上富良野町に帰省して撮った写真がありましたので貼り付けます。

冬の上富良野駅です。下り富良野方面行きのディーゼルが停車しています。このディーゼルで3年間富良野高校に通いました。
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写真突き当たりが上富良野駅です。現在でもこの写真と同じ様な風景が見られます。
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当時の国鉄(現JR北海道)富良野線には蒸気機関車が牽引の貨物列車も走っていたのです。
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夏の上富良野駅ホームです。こちらは旭川方面行きのホームです。私、ふらぬいが、富良野高校に通う時にこのホームをよく使わせていただきました。このホームを富良野方面行きホームまでよく走ったものです。
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上富良野駅の線路を越えて、十勝岳連峰方面を撮します。左手に田中山(現日の出公園ラベンダー園)が見えます。写真では一面の田畑ですが、現在は住宅地になっています。私の実家もこの近くにあります。左手少し行きますと現在はパークゴルフ場があります。ビデオで紹介されていました。
夏景色(もっと綺麗な写真があれば良かったのですが)
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冬景色(真っ白な冬ですが、拡大しますと十勝岳連峰がくっきり見えますよ)
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日の出公園は現在ラベンダーが満開の公園になっていますが、私の少年時代、田中山は夏は畑で冬はスキー場で、子どもたちの歓声がここかしこに聞こえました。

冬の上富良野の農村風景、40年前ですので、どこを撮ったか不明ですが、駅からはそんなに離れていない場所と思います。
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北海道で一番高所にある上富良野の名湯、十勝岳温泉の写真がありました。現在の十勝岳温泉凌雲閣の初期の建物と思いますが・・・。
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私、ふらぬいが個人的に印象深い建物の一つである自衛隊上富良野駐屯地の写真がみつかりませんでした。あの「北の国から」で黒板純君が言うところの「カミフの自衛隊の飛行機でないかい」との証(あかし)はお見せできませんでしたね。私には上富良野自衛隊の印象は飛行機ではなく、特車というところの戦車の印象が深いのですけどね。演習の行き来によく街中を走っていました。私は、小さい頃から隊員の方を親しみをこめて自衛隊さんと呼んでいましたけどね。

「YouTube」に北海道上富良野(かみふらの)ベストガイドを見つけたものですから、ブログで紹介させていただきました。その「YouTube」の紹介だけではなんですから、本当に古い写真と思いますが、40年前の上富良野の写真を貼り付けてふるさと上富良野町を紹介させていただきました。

ふるさと 北海道上富良野(かみふらの)町を紹介したブログでした。

初めて私のブログに出会った方はなんとローカルなブログと驚いた方も多いと思いますね。でも、世界の都市を紹介したすごくワイドなブログもあるんですよ。是非そちらの方にも目を向けて下さい。「ワイルドだぜい」、あっ、スギちゃんじゃないんだから。

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この記事へのコメント

高橋秀尚
2012年08月17日 11:26
初めまして!約40年前の上富良野の様子を懐かしく拝見しました。
私は昭和34年に上富良野で生まれ、小学5年に隣町の美瑛に移りましたが幼稚園、小学校と過ごした時期の写真を拝見して色々と思い出しております。旭野からのバス通学だったので冬は幼稚園の帰りに駅前の商店に併設されていた待合所で石炭ストーブの上にかけた金ダライの蒸発皿で温めた瓶牛乳を飲んだ事、当時は馬糞の転がっている様な道を幼稚園や学校まで通った事、旭川へ行く時に利用した駅舎、スキー授業で行った田中山、どれも懐かしい思い出です(^.^) 現在は長野県の松本に暮らしておりますが、終の住処は北海道、出来れば上富良野がいいなと漠然と考えています。懐かしさのあまり取留めのない事ばかりを並べてしまい申し訳ありません。貴重な思い出をありがとうございました。また拝見させていただきますね!失礼いたします。
2012年09月19日 12:40
長野県松本市の高橋秀尚さんからコメントを頂きました。昭和34年生まれですから、私、ふらぬいより一回りお若い方です。上富良野の旭野から幼稚園、小学校に通っておられたとのことです。美瑛にも住んでおられた由。私は昭和30年7月から昭和41年3月まで上富良野(草分、市街地)に住んでいました。市街地の住所は上富良野町6町内1でした。上富良野駅を出てすぐ左側に行きます。そうすると、上富良野商業協同組合の2階建ての建物が道路左側に見つかります。高校卒業迄、両親、兄二人とそこに住んでいました。駅を出て左側、当時は中村屋旅館がありました。そちらの方面に歩いて2,3分の場所です。駅の広場と道路を挟んで正面向こう側には、当時は上富良野駅バス停がありました、バス待合所を兼ねたお店がありました。高橋秀尚さんが温かい牛乳を飲んだ店です。その右側に日本通運の事務所がありました。道路を挟んで右側にはY木材工場がありました。私の家の正面はしばらくは旅館になっていました。その左側は、魚の競りが行われる市場でした。まもなく市場が閉じ、家具店にかわりました。我が家の右手前は上富良野に住み始めてしばらくは、雪印乳業の集乳所(農家からの牛乳を一時的に集める所)でした。冬の期間、馬橇で牛乳缶を運ぶため、馬が繋がれたりしていました。しばらくして、上富(カミフ)タクシー会社に変わりました。我が家の隣が、I木材会社の倉庫になっていました。その左手前、道路を挟んでI木材工場がありました。そしてさらに向こう側によく利用した公衆浴場、”竹の湯”がありました。でも、私の上富良野のイメージは昭和41年4月以降は旅人のそれになりますので、少し違っているかも知れません。小学校の高学年か中学校時代に旭野小学校まで遠足に出かけたのをおぼえています。3年前の帰省時、十勝岳道路を旭野小学校までドライブしました。これからもよろしくお願いします。
furanui★sizuoka
2012年11月09日 20:53
初めまして
私は昭和33年上富良野町日の出(今は変わった様ですが)生まれです。
上小⇒西小⇒上中と上富良野で過ごしました。
懐かしい写真有難う御座います。
私は中学3年で札幌に引越し、高校出てから東京
現在は静岡県で暮らしております。
生まれ故郷を思い出すと涙が出るくらい、帰りたい…
そんな思いで、私のアドレス携帯・PCともに
furanuiです
30年以上帰っていませんが、いつか家族と一緒に
帰りたいものです。
本当に有難う御座います。
2012年11月12日 13:43
furanui★sizuokaさんからコメントをいただきました。有り難うございます。上富良野、30年の変貌ははかりしれないものがあります。先日、10月の末、私事で上富良野に帰省しておりました。上富良野の町名は私が理解できないくらい変わっておりますね。私の実家は現在、駅の裏側、本町(もとまち)地区にあります。もしかしたら昔は日の出地区に含まれていたのではないですかね。ちなみに昔住んでいた所は中町1丁目になっていました。しかも私の記憶は曖昧だったようで、前回のコメントのI木材はK木材の間違いで、現在は存在せず。元の我が家の正面にあったM旅館がまだ営業していました。いつもは旭川空港から車でやってきて、旭川空港に車で帰るのでしたが、今回は電車を使っての帰省でわかりました。私、ふらぬいの浦島太郎の状況は今でも続いております。
高橋秀尚
2013年01月07日 14:48
かなり遅れれしまいましたが、ご返信ありがとうございます。
私の記憶よりも更に前の上富良野の様子をうかがい知ることが出来る内容を興味深く拝見しました。遠足に行かれたという旭野小学校は、私が物心ついた時にはすでに廃校になり公民館に変わっていましたが、父や叔父叔母たちにとっては母校のようです。旭野ではアスパラを栽培していましたが、グリーンではなく、缶詰用のホワイトアスパラを出荷していたのは覚えています。当時、デイジーという缶詰工場が上富良野にあったはずです。私も昨年九月末に上富良野へ墓参りに行って来ましたが、小高い丘陵地にある墓地から見る十勝岳の景色は相変わらず、風光明媚そのものでした。ふらぬいさんは草分にもお住まいになられたことがあるようですね?三浦綾子さんの「泥流地帯」を読んでから上富良野の歴史に興味を持ち始めて、色々調べていますが、草分の開拓記念館は必ず寄る場所です。十勝岳噴火で多くの方が亡くなり、壊滅的な被害を受けた土地を尽力を重ねて見事に復興させた上富良野の農の力は素晴らしいと思っています。また、上富良野の懐かしいお話を聞かせて下さいね。ではまた・・・。
ユーコ
2017年05月18日 16:31
上富良野の集乳所で検索してここに来ました。わたしは、父が自衛官で上富良野の新日の出(いまはそんな地名ないみたいですね)というところに2歳から4歳まで住んでいました。昭和42年です。ミルク缶を入れるローラーに乗って集乳所にすべり込んで遊んでいました。もう、操業していなかったのかな? 集乳所のおじさんのことを雪印のおじさんと呼び、わたしたち一家が旭川に引っ越してからも、交流がありました。ふらぬいさんとはかなりのニアミスみたいですが、上富良野の駅の様子や田中山の話などとてもなつかしいです。もう更新はされていないようですが、思わず書き込んでしまいました。失礼いたします。

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