横浜若葉台の冬の散歩道に蝋梅(ろうばい)を見つけました

横浜若葉台の冬の散歩道に蝋梅(ろうばい)の木を見つけました。横浜若葉台の周回道路の内側、若葉台団地内にではないのです。以前、ブログで紹介しました、あの帷子川の水源から流れに沿ってその木はありました。帷子川源流を出て(?)、帷子川本流に注ぎ込むのですが、注ぎ込むすこし前の細い流れに沿い、間もなく暗渠に入るほんの少し手前に、その木はありました。近くには、横浜温泉チャレンジャーの建物があるのですが、そちらの喧噪に巻き込まれることなく、ひっそりと可憐で黄色い花をつけておりました。なんと言いましても、後でお見せしますが、ローバイ、蝋梅の木はその1本だけですからね。1本の木と申しましても、7本の木立です。でも、この木の謂われを考えますと、この木がこの地に育つまでにどのような経緯並びに苦労があったことかと考えてしまうのですね。

以前にブログで紹介しましたが、あの鎌倉の有名なお寺にはこの1~2月、蝋梅が咲き誇りそれは見事な有り様を見(魅)せているとも聞き及んではおります。でも、ローバイ、蝋梅は大きな寺で観賞するものではありませんね。やはり、あまり大きくはない花の寺、明月院とか光則寺などで眺める蝋梅がよいのですね。東慶寺にもあったかも知れませんが、あまり大きくないお寺で蝋梅を眺め、愛で、唐梅(からうめ)とも呼ばれるこの木が何故、日本にやってきたかに思いを馳せるのが良いのです。

ここ横浜若葉台の散歩道には一本だけ蝋梅の木がありました。高さは約3メートルくらいでしょうか。名前の由来にもありますように、蝋(ろう)細工と言っても良いような光沢を放つ可憐な黄色い花をつけておりましたね。お見せしますね。

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あまり写りは良くはありませんが、このようなものと感じ取っていただけると嬉しいです。

ロウバイ、蝋梅(*)は唐梅(からうめ)とも呼ばれ、後水尾(ごみずのお)天皇(**)の時、朝鮮から献上された木と言われていますね。つまり、元来、日本には無かったものと言われております。以下、蝋梅と後水尾天皇について貼り付けます。ご一読下さい。(手抜きのつもりは無いのですが・・・)

(*)ロウバイ、蝋梅
http://hanatomidori.gnk.cc/ki05/r/rwobai/rwobai.html

(**)後水尾天皇
後水尾天皇:江戸時代初期の天皇。後陽成天皇の第3皇子、名は政仁(ことひと)。徳川秀忠の娘和子(東福門院)を中宮としたが、幕府の公家圧迫に反発して、1629年に譲位、以後4代51年にわたり院政。洛北に修学院離宮を造営したことで知られる。(在位1611~1629)(1596生~1680没)

後水尾天皇、苦難のご生涯の様子が下記に記載されています。
http://homepage.mac.com/saito_sy/tennou/H140311JSgomizunoo.html

横浜若葉台の散歩道でロウバイ、蝋梅の木と花にめぐりあい、江戸時代に、中国、朝鮮から渡来した木が1本、この場所に咲いている不思議に感じ入り、江戸時代初期、後水尾天皇の波乱に満ちた生涯に思いを馳せました。後水尾天皇のご長命だった記録が昭和天皇に破られたことは存知あげておりましたが、後水尾天皇の時代に徳川が豊臣を滅ぼしたこと今回初めて知りました。あの大阪冬の陣、夏の陣に遭遇して、後水尾天皇はどのようにお考えになり、豊臣滅亡へのお気持ちいかばかりだったかと。また日本の歴史を紐解きたくなりました。NHK大河ドラマ「江」では後水尾天皇ばかりでなく、天皇についてはあまり触れられていなかったように思いますからね。

横浜若葉台の冬の散歩道に蝋梅(ろうばい)を見つけたブログでした。

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