オフレコ発言の「言葉尻をとらえる」から、「言葉がすぎる」、「言わぬが花」をつれづれぶろぐ

また、意味ありげなタイトルで、なにを言いたいのかわからないが、なんか受けを狙ったブログのタイトルのように思えますね。実は、一冊の本を読んでいて、私としては普通に読み終え、それなりに(失礼)名作と位置づけられている本との読後感に浸ったのです。その本のタイトルは、坂口安吾著「不連続殺人事件」です。推理小説好きの皆さんは、ご存じで、既に読まれていますね。私、ふらぬいとしましては、恥ずかしながら、何故か未読だったのです。読了した今では、内容は確かに推理小説ファンには垂涎(すいぜん、よだれが垂れるほど強く欲しがること)の小説でした。(少しおおげさ?)
それで、坂口安吾著「不連続殺人事件」について、内容を少し紹介しますと、
「戦後間もないある夏、詩人・歌川一馬の招待で、山奥の豪邸に集まったさまざまな男女。作家、詩人、画家、女優など、いずれ劣らぬ変人・奇人ぞろい。廷内に異常な愛と憎しみが交錯するうちに、世にも恐るべき、八つの殺人が生まれた! 不連続殺人の裏に秘められた悪魔の意図は何か? 鬼才安吾が読者に挑んだ不滅のトリック! 多くのミステリ作家が絶賛する、日本推理小説史に輝く傑作」
と表紙の裏カバーに説明が付いていました。

今回のブログで取り上げるのは、坂口安吾の著書「不連続殺人事件」の内容ではなく、角川文庫編集部が「不連続殺人事件」の最後に付け加えている、昨今見かけるようになった文言にありました。それは、以下の通りです。
「本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮し、そのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図のないことをご理解いただきますようお願い申し上げます」

私は、もう昔の人間ですから、1947~48年にかけて書かれた坂口安吾の「不連続殺人事件」の内容については抵抗無く読んだつもりでしたが、当時は問題なく使っていたのですが、今となっては使ってはいけない表現がちりばめられていたのだと思いますね。そう言えば、この本では普通に使われていた表現ですが、今では使ってはいけない言葉がありました。
その一つに、”せむし”、背骨が後方に湾曲してしまう病気の方の表現がありました。私の子どもの頃は禁止用語ではなかった(と思います)ので、その言葉はあまり抵抗はなく使っていたような・・。そう言えば、ビクトル・ユゴーの名作「ノートルダムのせむし男」が、今では、「ノートルダムの鐘」とタイトルが変更になったと言うこともありましたね。フランスではどのように題名が変更になったのかは分かりませんが、私は、フランス滞在時、このノートル・ダム寺院の優雅な姿?を眺め、やはり思い出したのは、オリジナルの題名でした。
また、”びっこ”(足の故障によって歩行の釣り合いがとれないこと。またその人をあらわします)も禁止用語ですね。ですから、加山雄三さんが歌った、”びっこの仔犬”は名曲ですが放送禁止の歌なのですと。びっくりしましたね。でも、不細工(ぶさいく)で可愛い犬は、ぶさかわ犬で大丈夫な様です。
私は、どこか北海道弁のブログで書いてしまったかも知れないのですが、”かたびっこ”とは今でも使ったりしています。たとえば左右、両方うまく揃っていないことを表現するのですが、これも禁止用語かも知れませんね。
さらに、”気違い”も禁止用語なのでしょうね。もともと、良い意味での、ある物事に熱中して心を奪われること。またその人。悪い意味では、精神状態が正常でないこと。またその人。として使われていましたが、良い意味ではマニアに、悪い意味ではキチ、釣りキチなどとカタカナにしたり、また語を短くして表現を変えてしまいましたね。
狂人(きょうじん)も禁止用語でしょう。魯迅の「狂人日記」も発売禁止? まさかね。「屋根の上の狂人」(菊池寛)、こちらは中学校時代に劇でやっていたような、でも、もう演じられないとか・・・。まだまだ数えられないくらい使ってはいけない表現があるのだそうですが、そちらの禁止用語をブログにするのが目的では無かったですからね。ブログのタイトルに沿った話に戻していきますね。

オフレコ発言の「言葉尻をとらえる」から、「言葉がすぎる」、「言わぬが花」をつれづれぶろぐ、でした。あの、いつものつれづれぶろぐですからね。どなたかを非難、中傷する意図はありません。揶揄は少しあるかも知れません。

それで、オフレコについては、”off the record”を短くして日本語みたいにしたものですね。記録に残さないこと、ケビン・メアさんのオフレコ講義の沖縄発言ブログで説明しましたね。
そして、「言葉尻を捉える」とは、相手のささいな言い損ないにつけ込んで攻撃することです。どこかの野党の政治家の方が得意としており、攻撃するときに声が裏返しになりますね。あれも多分この意ですね。
「言葉がすぎる」とは、度をこして言う。言ってはいけないことを言うことです。与党の前復興担当大臣が東日本大震災の現場で言ってしまいましたね。この方も辞任を迫られました。また、どこかの野党議員が言葉を裏返して相手を非難、罵ることも、そうと言えるかも知れませんね。こちらはちょっと違うかな・・・。
「言わぬが花」とは、はっきり言わない方が味がある、さしさわりがない、の意です。これは、日本国のどの政治家も保身のため、怖いマスコミから自身を守るには必要なことですね。でも、あまりに黙っていると”無能”とのレッテルを貼られることがおちですから、ほどほどの対応が求められます。今の与党、政権党の政治家が要職につくと、さしあたり、こちらの対応が必要になりますね。元気に発言していた方が、急に元気で無くなってしまうのが残念ですが。

この、オフレコ発言の「言葉尻を捉える」から、「言葉がすぎる」、「言わぬが花」を考えたのは、やはり、不当?で不適切?な「死の町」、「放射能つけちゃうぞ」発言を行ったとして、辞任、辞めさせられた鉢呂前経済産業大臣のことがあったからなのです。東日本大震災ならびに福島第一原発事故の被災者、避難されている方たちに対して、彼らのことを思いやることが出来なかった、不当で不適切な発言と言われています。

でも、彼はそんなつもりで発言したのではないと私は考えていましたよ。しかも、マスコミ向け、サービスのために発言したと思っています。さらにオフレコでしたからね。外部、公の場に出る筈もないと思っていたのでしょう。それで、鉢呂前経済産業大臣はオフレコ発言で、被災した町を「死の町」、彼の防護服についた見えないゴミをふざけてどなたかに、「放射能つけちゃうぞ」と言った、言わないとか。マスコミ報道での鉢呂前経済産業大臣の言葉遣いに対する、おおげさなマスコミ(どこのマスコミかはだいたいわかりますが)報道、酷(ひど)かったですね。それに飛びついた他のTV局、新聞やマスコミ、また与野党政治家、情けないとしか言いようがないです。あの私がそのように思っているだけですからね。けしからんなどとは・・・言いませんよね。 
「言葉尻を捉える」ことの愚について、昔は、歴史認識における問題発言での大臣辞任騒ぎもありましたが、日本国にとって良いことではないですよ。まして、安全だ安全だと国民に対し「言葉がすぎる」というか、間違った情報を流し続けてきた方もおりました。前与党の政治家、国家官僚、原子ムラ社会の住人たちが、美しい自然は残っているのに、まるで人の住めないような「死の町」にしてしまって、と鉢呂前経済産業大臣は感じたのでしょうね。この「死の町」の言葉が被災者を傷つけるのでしたら、美しい福島県の町を「ゴーストタウン」にしてしまった、先に述べた関係者はどうなのでしょうか。「言わぬが花」とでも思っているのでしょうね。
もちろん政治の主役は現在の与党、政権党ですから、そのやることなすことに責任は生じます。オフレコ発言と言い出したのは、多分発言側でしょうから、聞き手にオフレコとは言っても、(責任感からですよ)ご自分を守るためのオンレコは必要だったのではないでしょうかね。言った言わないの水掛け論に勝つにはやはりレコード(記録、議事録)に勝るものはないのです。まあ、発言した言葉への信義、信用、裏切り等の言葉は以後ついて回りますがね。つまり、オフレコと言ったのに、言った本人がオンレコしていたらそれはどうなるか・・・。でも、自分にオフレコとは言っていないだろうと自分のオンレコを公開するとか・・・。なんかやはりお互いが汚い戦いになりそう・・・。

私は、ふるさとブログでずっと書いておりますように、北海道の閉山した炭鉱の出身者です。閉山して、ブルドーザが建物、住居を壊してしまい、人っ子一人住んでいないふるさとの街に佇んで、表現としては使いませんでしたが、生活の息吹もしない「死の町」との感慨はもちましたよ。でも、「ゴーストタウン」と思ったのかも。その「ゴーストタウン」の意味するところは、住民が離散して、ほとんど無人状態になった町。廃鉱になった鉱山町とありますからね。欧米のマスコミは福島第一原発事故で避難し終わった町を「ゴーストタウン」と表現していたとか。それは、やはり日本語で表すとしたら「死の町」でしょうに。

今回のことで、TV局や新聞、マスコミ各社は「死の町」を禁止用語にでもするつもりなのでしょうか。それとも「ゴーストタウン」とすれば良いとするのでしょうか。「放射能つけちゃうぞ」発言はオンレコで聞きたかったですけどね。マスコミはオフレコをきちんとオンレコで記録していると思っているのですが、どうでしょうかね。今回、鉢呂前経済産業大臣の発言、これらの情報が全て伝聞で伝えられるというのは、なにか別のなにか?(表現が?)があるようで、本当に怖いと思います。

そしたらなんと、「マスコミは怖い…」と鉢呂前経産相自身が胸の内を明かす記事が載っていました。サンケイ新聞の記事です。

「東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発周辺地域について「死の町」などと発言したことで引責辞任した鉢呂吉雄前経済産業相が9月19日までに産経新聞社のインタビューに応じ、「発言は覆水盆に返らずで、辞任は自業自得だ」と胸の内を明かした。
鉢呂氏は9月8日深夜、東京・赤坂の衆院議員宿舎でのオフレコ(非公式)の記者懇談で「放射性物質をうつしてやる」という趣旨の発言もした。鉢呂氏は発言について「記憶にないが、不用意だった」と述べた。
ただ、「テレビ局の記者が伝聞形式でまず放送したが、発言があったというなら事前に本当か確認くらいはしてほしかった」とも述べ、「今思えば、オフレコ懇談には付き合わなければよかった。自分が甘かったし、注意していればよかった。でも、マスコミは怖いですね」とこぼした」
とのことでした。

マスコミが怖くなったのは昔からではないのです。そんなに昔ではありませんが、マスコミが政治からみで本当の事を書くと別件で逮捕されたこともあるのです。しかも政治家は当該記者を犯罪者にもできたのです。(毎日新聞の西山記者の事件等) それをやったのが前の政権党ですが。でも”ペンは剣より強い”と学びましたね。オフレコだからなんでもしゃべってよいかというとそうでもないのでしょう。また、オンレコだからなんでもしゃべってよいのでもない。でも、いまどき、このIT時代、オフレコなんてありえないのではないでしょうか。IT機器ばかりでなく、人間の記憶力をバカにしてはいけませんよ。

鉢呂氏は「常々、政治家の発言はすべてがオン(公式)扱いだと言ってきた」という。それだけに今回の辞任劇で「もう冗談も言えなくなった。ただ、型通りの話ばかりするわけにはいかず、今後は記者にどう信頼を置いていけばいいのか」と戸惑いをみせる。

鉢呂氏が言うまでもなく、政治家が冗談も言えなくなったら、何を言ってくれるのか、マスコミとしても考えた方が好いかもしれない。政治家が「言わぬが花」などと言い出したら、マスコミは何を取材するのですかね。そんな事より国民は政治家の何をもって彼らに期待したら良いのでしょうか。実行あるのみと言われましても・・・。

オフレコ発言の「言葉尻をとらえる」から、「言葉がすぎる」、「言わぬが花」をつれづれぶろぐしました。

私は、政治家もマスコミも国民も、もっと寛容の心をもつべきと考えますがね。”許せない”なんて言葉、表向きだけにして欲しいのです。”あれもだめ”、”これもだめ”と言っていると、日本語から言葉が無くなります。「言わぬが花」の日本であってはいけないでしょう。言い過ぎがあれば、失礼しました。

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この記事へのコメント

化女
2011年09月21日 13:35
トラックバック有り難うございました。
今日の記事もじっくり読ませて頂きました。
タイトルの深い意味に、この国の明日を憂い、溜息です。

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