原発事故はまだ藪の中、それで蜘蛛の糸は

「原発事故はまだ藪の中、それで蜘蛛の糸は」と題するブログです。

「原発事故はまだ藪の中」は意味がわかりますね。あの福島第一原発事故の最中、関係者の間で、「言った、言わない」、「知っていた、知らない」との言葉がいろいろな場面で飛び交っています。「藪の中」ですから、「関係者の言うことが食い違っていて、真相が分からないこと」ですね。なんと言っても、初めてのしかも未曾有で想定外の出来事に対する言い訳、いまからでも遅くはない? もう遅いかも? 藪の中を照らす、議事録と確証を残す試みは行われるのでしょうか。そして、原発事故解決のため光明、糸口は見えてくるのを期待しつつ、お釈迦様が「蜘蛛の糸」をおろすというブログなのです。「藪の中」、「蜘蛛の糸」、思い出しました? そうです、芥川龍之介作品ですよ。原発事故が芥川龍之介? まだ意味が分からない、と仰る方のため息が聞こえてくるようですが、先送りはしませんからね。行きますよ。

先日、5月26日の毎日新聞「余録」に事故調査の「藪」と題して、福島第一原発事故発生直後における首相官邸、原子力安全委員長、東京電力の発表の食い違いや発言訂正の騒動のことを、欧米では「ラショーモン・エフェクト」という言葉が使われる。日本語にすれば「羅生門効果」で、つまり一つの現象でも人の立場によってその見え方や説明の仕方はさまざまなことを言うのだ、と書いてありました。しかしながら、日本では、同じ芥川龍之介原作の題名「藪(やぶ)の中」が、当事者の証言が食い違って真相が分からないことのたとえに用いられるのですと。
原発事故全体の究明にあたる事故調査・検証委、委員長になる失敗学の畑村洋太郎氏へ過去の原発政策までさかのぼる調査は藪どころか広大な森林探査となる。未曽有の原発事故の真相究明は日本人に課せられた文明史的な責務だ。藪から誰か「犯人」を引っ張り出し、留飲を下げればすむのではない。多様な証言やデータから人類が教訓とすべき真実を読み取る思慮と英知こそが試されるのだとエールを送っておりましたね。

私はこの「余録」を読んで筆者の「羅生門」「藪の中」と好きな作家の小説が出てきて嬉しくなりました。この頃の若い人たちは芥川龍之介の小説は読むのかな。使っている漢字が難しいし、かつ小説の背景が古典からの引用もあるのでどうだろうか。今はやりの時代小説や大河ドラマとも少し違うし、などど思ったりもしました。

それが、福島第一原発事故発生当時の1号機への海水注水中断における、首相官邸、原子力安全委員会、原子力安全・保安院そして東京電力の言動が、本当にだぶって見えてくるのですね。きっかけは、前の政権党、いまは野党第一党の総裁が菅首相が海水注水を止める指示を出した、出さないとの衆議院委員会質問にさかのぼるのですが、福島第一原発がM9.0の大地震と大津波で被災した翌日の原子炉を冷却するため海水注水を55分間止めたことが事の発端になるのです。2カ月以上も経ってしまい、記憶はうろ憶えで、事の経緯はもう夢の中、訳のわからない状況になりつつあります。また皆さんも存じ上げていると思いますが、「言った」、「言わない」、「知っていた」、「知るわけがない」とのやりとりが交わされていました。なんと嘆かわしいことかは、そちらに置いて置いて、とにかくどなたが正しいことを言っているのか、行ったのか、そうでないのか、原発事故は「藪」に入ったのです。

ところがですね、なんとなんと、5月26日になって、東京電力福島第一原発事故で、1号機への海水注入は中断されていなかったことが東京電力から明らかになりましたね。ということは、海水注入中断の是非、責任の所在等々、色々議論して、当事者の対応の非難応酬はなんだったのかということになりますね。それで、原発事故はまだ「藪の中」の深みなのです。
それで、なんとかならないのかい、少し言葉が悪いのですが、と考えていて、なんかの表紙に助け船、救いの糸はと考えていて、そうだ「蜘蛛の糸」があったと思い出してしまったのです。こじつけのようでもありますが、「蜘蛛の糸」だったのですよ。

皆さんは中学、高校の教科書で芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は読みましたよね。お釈迦様がおろしてくれた蜘蛛の糸に、主人公の男が自分だけ助かろうとしてよじ登っていると、次から次に助かろうと人々が後から後からよじ登ってくる。男は後に続く彼らを蹴落とそうとして、結局は蜘蛛の糸が切れてしまい、男も彼に続く人々も奈落の底に落ちていく。お釈迦様にはいままでの喧噪がウソのような静かな一日が戻る、との内容でした。(あのもっと文学的にハイレベルの内容でしたので、どうぞお読み下さい) それで、同じ芥川龍之介の「藪の中」は題材が中学生、高校生には不適当だったのか教科書に掲載されてはいませんでした。私は大学生になってから読んだ気がしています。でも「藪の中」の意味することは知っていたような気がします。黒沢明監督の映画「羅生門」は、「羅生門」が映画の舞台ではありますが、芥川龍之介の「藪の中」が原作ですね。原作を「羅生門」の内容にすると気持ち悪さがだけが残りますからね。それで、筋書きと内容は「藪の中」なのです。この舞台効果と内容でヴェネチア映画祭グランプリの栄誉に輝きました。映画「羅生門」は横浜に出てきて、かなり経ってから渋谷か横浜の映画館で観たように思いますが、どこの映画館だったか記憶にはないのです。もしかしたらTVで観たのかもしれない。黒沢映画はどの映画、映像も何故か印象が強いのです。どの映画も観たような気になっていますが本当は2、3作しか映画館では観ていないのかも知れません。芥川龍之介の「藪の中」は好きな小説ですね。映画では「羅生門」の原作になったのです。いいですか、それで、外国では「ラショウモン効果」、日本では「藪の中」になるのですよ。

それで、この「藪の中」の話はですね、例の海水注入、中断問題です。
どこの新聞にも同じような記事が載っています。もうご存じかも知れませんが、整理しますね。実名を入れてしまいますが、ご容赦下さい。

「福島第一原発1号機で地震発生翌日の3月12日、原子炉を冷やすための海水注入が一時中断したとされた問題で、東京電力は5月26日、実際には注入は中断せず、継続していたことが分かったと発表しました。第一原発の吉田昌郎所長が、注入した方が安全との判断で続けていたという。5月24日から25日にかけて、同原発で吉田所長から事情を聴いた結果、判明した。
東電の武藤栄副社長は5月26日の記者会見で、吉田所長の処分を検討していることを明らかにした上で「海水注入を継続したのは技術的には妥当」として、処分検討の理由は報告時期が遅れたことにあるとの認識を示した。また、吉田所長が記者会見に出席して事情を説明するかどうかについて、武藤副社長は「現地で陣頭指揮があるので無理だ」と述べた。
東電によると、海水注入問題が国会審議で取り上げられたことを受け、本店の社員が第一原発で吉田所長にヒアリングを実施した。吉田所長は、国際原子力機関(IAEA、本部ウィーン)の調査団が同原発を調査予定であることに言及し「国際的にもいろいろ評価されることを踏まえ、事実を報告する気になった」と話したという。
吉田所長の証言について東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「本人の記憶の中にある。計器の記録が裏付けであるわけではない」と話した」
のだそうです。

もともと、東電が今月、5月16日に公表した資料には、3月12日午後7時4分に海水注入を開始し、同25分に停止、午後8時20分に海水とホウ酸による注水を開始と記載しているのです。一方、政府・東京電力統合対策室は5月21日、中断前の注入は東電による「試験注入」で、官邸の意向が伝わり東電が中断、その後、首相から海水注入の指示があり、午後8時20分に再開、臨界を防ぐホウ酸を加えたと発表していたのでした。

海水注入を停止した55分間で、福島第一原発の状況が悪くなり、結果的に放射能を外部にまき散らしてしまったと言われて、このことが大問題になり、指示を出したであろう菅首相の責任問題に発展したのです。それで、首相は海水の注水は知らないし、知らないものが注水中止を指示できないと。しかしながら、政府の関係者というより、海江田経済産業大臣は指示があったように発言していましたね。

話はあらぬ方向に発展しました。

「東京電力福島第1原発1号機への海水注入をめぐる問題で、東京電力が実際は注入を続けていたと一転して発表したことを受け、原子力安全委員会の班目春樹委員長は5月26日、「中断がなかったのなら、私はいったい何だったのか」などと不信感をあらわにした。
班目委員長は海水注入について地震発生翌日の3月12日に菅直人首相らと協議した際に、再臨界の危険性を指摘したと伝えられ、発言内容が注目されていた。
班目委員長は5月26日午後2時からの委員会が始まる直前、東電関係者から注水継続の事実を聞いたという。
班目委員長は「55分間の停止命令を誰が出したのかという話をしていたのに、停止していなかったと。私の頭の中はクエスチョンマークだらけで相当混乱している。いったい何がどうなっているのか教えてほしい」とため息交じりに話した」
のだそうです。

原発事故は藪の中を物語る逸話の数々です。これらの逸話からは原発事故収束の光は全然見えてはきませんね。藪の中に入ってしまったからです。

そして本日、5月28日の朝日新聞社説です。もう怒りを超えて呆れているのです。

あの「幻の注水中断劇、もういい加減にしてほしい」と述べています。

「大いなるフィクションに世間が大騒ぎをさせられた。国会でも、この虚構をもとに野党と政府が激しくやり合った。
福島第一原発の事故発生翌日、1号機への海水注入が55分間中断した事実はなかった、というのである。
東京電力の訂正報告が本当なら、福島第一の所長が東電本社の指示に従わず注入を続けたことを経営陣が2カ月以上も知らなかったことになる。会社の体をなしていない」
と怒りいっぱいの書き出しです。

もし、この海水注入が55分間中断した話が事実でなかったら、あの二日間の野党と政府の激しく相手を非難し、弁解に無駄な時間を費やすこともなかったのです。そして、政府に出しに使われた、原子力安全委員会の委員長発言、言った、言わなかったとのこれまた無駄なやりとりも無かったのです。
でも、一つだけはっきりしたのは、今の政府、官僚が何かを行うにあたり、何ら議事録も確証をも残していないことわかりました。何か事を起こすにあたり、確たるものがあって、また無ければ確かめて、理論武装して、それから事にあたるという基本的なことが行われていないこと分かりました。それで、今回のことを、どのように反省するかというと、「忙しかった」、みなさん「未曾有の事態、想定外のことがらで、気が動転していた」とね。でも、このような人たちに日本国の舵取りをまかせてはいけないこと、日本国民、皆さん悟りましたね。今回初めて明らかになったのですが、半世紀以上ずっとこのようなことが続いていて、日本国が未曾有の危機に陥ってしまったことも確かですからね。
福島第一原発の所長が東電本社の指示に従わなかったのは、政府からの指示が間違っていると判断したからですが、そんな指示だしていないと菅首相が言っています。原発ムラ社会ではこんなことが、普通に行われているらしいと言うことでしょう。政府、原子力安全委員会、原子力安全・保安院からこのような指示がでる筈だと先ヨミして動いていたのでしょう。上意下達(じょういかたつ) 、上位の者の意志や命令を、下位の者に徹底させることですが、今では下位のものが上位の意思や命令を推量してしまうということですね。これは企業でもよくおこなわれるのですが、うまくいったら上司の手柄、うまくいかなかったら部下の責任です。もちろん東電では常態化されていたのでしょう。部下である所長の結果?責任になりそうですね。もちろん、朝日新聞内ではこのようなことは無いでしょうから、社説の筆者は許せないと怒っています。東電経営陣が2カ月も知らなかったですと、そんなことなことはありませんよ。IAEAの調査が始まるので隠すことは出来なくなっただけのことです。

朝日新聞社説の怒りはさらに続きます。

「所長の判断には理解できる面がある。壊れかけた原発で、注水の中断は、絶対してはいけないことだったのだろう。 ただ、それで強行突破したのなら、事後に本社に伝え、本社は中断指示の経緯も含めてすぐに公表すべきだった。  事故直後、分単位でどんな手を打ったかは、事故の拡大防止を考えるときに欠かせない基本情報だからだ。
結果的に正しい判断だったとしても、政府や東電の発表内容に対する信頼が大きく損なわれた。こうしたことが続けば、事態収拾への道筋に悪影響を与えるばかりでなく、国際的な信用も失ってしまう。
もっと深刻なのは、政府と東電本社と現場とが、現在にいたってもバラバラで連携できていないことが、発表をめぐる混乱を通して露呈した点だ。 互いに責任を転嫁するばかりで、いまだに事実関係すら明確にできない」

所長さんは原発事故対応で現場を離れられなく、なぜそのような対応をとったのか東電としては記者会見の場に出せないとも言っていましたね。こんなこと誰でもわかりますよね。所長さんは中断指示を含むもっと重要な事柄、それも東電にとってはあまり良くない事柄を知っているからです。そして、さらに2~3カ月後の会見の場では詳細資料もなく思い出せないと話し始めるのでしょう。ですからそのときには何も思い出せない。忘れてしまったで通りますからね。そうするとあの「ラショウモン効果」、「藪の中」の有様になってしまうのです。「事故直後、分単位でどんな手を打ったかは、事故の拡大防止を考えるときに欠かせない基本情報」など出るわけありません。あの忙しくもない日本政府、官僚だって忙しくて議事録も確証も残さず会議をやっていたのですからね。国際的信用が地に落ちたのは、もうこの20年以上続いているのですよ。それが日本の失われた20年、さらに30年になっていくのですから。

朝日新聞社説の筆者は怒りが最高潮に達します。

「東電から海水注入の方針を告げられた政府がすぐに了承しなかったのはなぜなのか。最終的な指示を出すまで、どんなやり取りがあったのか。
政府は「再臨界の可能性を検討した」という。だが、専門家は一様に「真水から海水への切り替えで再臨界の可能性が強まることはない」と指摘する。
ならば、原子力安全委員会や東電幹部らが、一刻も早い注入を首相に助言できたはずだ。それとも、首相に聞く耳がなかったのか。
政府と東電の間で、国民や作業員の安全より政治的な思惑や自身の面目、あるいはトップの顔色をうかがうことばかりが優先されているのだとすれば、言語道断だ。
福島第一での作業は今も続いている。一つ間違えば惨事につながりかねない課題ばかりだ」

もっともな指摘です。立場が立場なら同じ指摘をすると思います。なんと言っても初めてのことで(あの私はこんな言葉を容認してはいませんからね)と政府関係者が言うように、分からないのですよ。原子力村、原発ムラの専門家だって本当は分からないのですよ。だって原発に事故があるなんて考えてもいなかったのだから。「再臨界の可能性は無い」と言っている方と「再臨界の可能性」を検討するのも必要なことなのでしょう。あらゆる可能性について検討したと言いたいでしょうからね。でも、本当に不思議なのですが、なぜ検討した議事録、確証を残しておかないのでしょうか。本当に不思議に思いますね。それは、政府関係者が何も知らないことがバレてしまうから? 質問したことで、専門家にバカにされているのが分かるから? 専門家が何も知らなかったバカであったのが分かるから?
ちょっと言い過ぎたかな、でも、首相に聞く耳が無かったのは確かでしょうね。あの、どんどん偉くなってくるとですね、なぜそうなったという結論にたどり着く道筋というより、こうだからこうとの結論だけを求めるのですよ。ですから、いつも結論だけが出てくる。浜岡原発は危険だから停止とね。
政府と東電の間で、安全より政治的な思惑や自身の面目、トップの顔色をうかがうことばかりが優先しているのは指摘の通りと思います。上意下達(じょういかたつ) の世界におられる方たちですからね。

筆者は以下のように社説を締めます。

「首相は、現場の判断を尊重しつつ正確な情報をあげさせ、多角的に検討して適切な決定がくだせる態勢を、ただちに整えるべきだ。 東電が所長を処分して終わりにするような問題ではない」
とね。

私も筆者指摘の通りであって欲しいと思います。日本の政治家、国家官僚、東電も官僚組織と同じかな、もう50年以上昔から続くこの縦割り行政の中でせいいっぱい実力を発揮するのは難しいと思います。しかしながら、この日本国未曾有の事態に、首相がいつも言うように首相がやったことを歴史が評価します。ただ、歴史が評価すると言い放つのではなく、長い目で見て、あのときの首相が行ったことは歴史的にみて、当時は揶揄され、評価されなかったけで、歴史的な判断で良かったのだと言われるような適切(?)な決定を下して欲しいと思います。東京電力の副社長がなんらかの処分を所長に下すとしているが、歴史の評価に耐えうる実行を期待したい。

それでも、「ラショウモン効果」から「藪の中」ならまだ良かったのですが、何故、「蜘蛛の糸」を思い出してしまったのだろうと思いますね。まだ自分ではっきりわからないのですが、蜘蛛の糸は何? お釈迦様はだれだったのだろう? 主人公の男は誰? 奈落の底に落ちていく人々はと考えると、東日本大震災、原発事故から日本の何が分かるのだろう。分かってしまったのだろう。日本はこれらの政治家、国家官僚に任せると、これからどのような道に進んでいくことになるのだろう。かなり心配ですね。もう、私なんか、定年を迎えて社会参加は地元でほんの少ししかしてないし・・・。忸怩たる気持ちを、光明、明かり、あの「蜘蛛の糸」に託すことになるのかな・・・。

原発事故はまだ藪の中、それで蜘蛛の糸は、と題するブログでした。

蜘蛛の糸が何なのか理解が難しいかも・・。議事録、確証? お釈迦様は、菅首相? 政治家? まさかね。でも、つれづれブログですし、細い糸でもこの大震災、原発事故の日本の閉塞感を払拭するために掴むものがあればという気持ちなのですが・・。

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