無謬(むびゅう)経営と無謬政治の末路をつれづれぶろぐ

無謬(むびゅう)経営と無謬政治の末路をつれづれぶろぐします。末路ですから、どちらも破綻(はたん)に繋がるのですが・・・。そうであってはいけないとの意味を込めたブログです。

昨日、4月18日の朝日新聞朝刊のコラム「経済気象台」に、”無謬(むびゅう)経営の末路”と題して、無謬の思想が経営者のあたまの中に入ってくると企業は大混乱を起こすとの話が載っていました。そして、現在直面している、東日本大震災、福島第一原発事故に対する、政府、菅政権の対応について、これが無謬政治にあたるとして、警鐘を鳴らしています。
あの、コラム氏は「政治も同じだ。満点を期すれば決断出来ずに停滞に陥る」と述べているのですが、私、ふらぬいが、勝手に無謬政治の末路を追加しました。もしかしたら、「経済気象台」筆者の趣旨とは異なるかもしれませんよ。そんなこともないように思いますがね。

無謬(むびゅう)とは、私がいつもお世話になっている、広辞苑第3版には語彙が掲載されておりませんでしたが、意味するところは、”理論や判断に間違いのないこと”ですね。謬(びゅう)は、”あやまってすること”、”あやまち”ですね。私は誤謬(ごびゅう)の語彙を使ったりしますので、無謬については、あまり抵抗無く、読んだり書いたりしていました。でも、無謬経営なんて、そんな経営を経営者ができる筈は無いとの立場です。だって、人間はあやまちを犯す動物ですからね。ですから、たとえ、経営者があやまちを犯しても、あやまちをいかに小さくするか。あやまちをいかに速くリカバリするか、でその経営手腕が発揮されるのです。この世に神様、聖人・君子が居ればいざ知らず、居りませんからね。

あっ、そう言えば、世界の4聖人、5聖人をつれづれブログで紹介したことがありましたね。「もいちど読む山川世界史をやっと読み終えました」という、少し長めのブログでしたね。聖人・君子はあやまちを犯さない、というのは嘘ですと書きました。彼ら、聖人・君子は、自分の行為、思想を書き物にして決して残しはしませんでした。それは本人が書いてしまえば、あやまちを犯したかも知れないからです。彼らのことを書いた本があったとしても、彼ら自身、聖人・君子と呼ばれる方です、が書き物を残したのではありません。あやまちを犯したとしたら、聖人・君子と呼ばれませんからね。あやまちを犯す可能性を排除したかったのです。その確証を残したくなかっただけなのです。だって、彼らの書物は彼ら以外の著者、つまり弟子、信奉者、後継者などが認(したた)めたのでしたからね。いまでも行われているかも知れませんよ。ゴーストライターとは違いますね。

「経済気象台」のコラム氏はつぎのように始めます。

「人間誰しも失敗はしたくない。だからこそ勉(つと)め、励み、考える。良いことだ。しかしながら経営者があまりにこれにこだわると企業はおかしくなる。当然のことながら、企業は未踏への挑戦の連続である。毛沢東流にいえば、企業の生命は「永久革命」。すなわち絶えざる前進によってのみ支えられる。このような場に「無謬(むびゅう)の思想」が入ってくると大混乱を起こす」と。

ここで、毛沢東の「永久革命」が良い例えかどうかは疑問ですがね。この方も聖人・君子では無かった方で、大きな失敗をやらかしました、でも、それなりの信念でもって実行し、同僚、仲間、部下もついてきたということですね。私はあの紅衛兵が活躍した文化大革命を報じる新聞記事を読んで、革命とはここまで無慈悲なものと理解しましたからね。中国国内で多くの知識人が犠牲になりました。ですから、このコラム氏の前提、例をあげての絶えざる前進の文言は、あまり好きにはなれませんが・・。

経営者があまりに無謬にこだわると経営に大混乱を起こすのは正しいと思います。でも、経営者は自信の塊(かたまり)ですから、自分の下す判断はいつも正しいと思っていますよ。だって、部下には、「仰ることごもっともです」と経営者の判断を肯定し、支える部下が必ずや周りにいるのですから。

でも、コラム氏は”失敗をおそれるトップ”がいるとの前提で論旨を進めていますから、確かに、そのようなトップが日本企業に増えてきたのでしょうね。

それで、コラム氏は
「”失敗を恐れるトップ”は、まず企業戦略の作成を経営企画室あたりにまかせる。これは民主的権限委譲の形をとるから問題はない。問題はそれからだ。出てくる案に片っ端からイチャモンをつける。100%勝てる戦略なんてありようがないから、出る案、出る案すべて廃案となる。部下の無能が叩(たた)かれる。戦略が立たないから企業の大軍団はどこへ行ってよいのかわからない。ウロウロするばかりだ。
奇妙なことにこの類いのトップは結構持続する。何もしないから失敗もないのである。そのツケは次世代へと受け継がれていく。名門企業がある日突然、傾いて世間を驚かすのはこのためだ。名門ほど蓄積があり無能も長持ちするのである」、と持論を展開します。

それが、”何もしないから失敗もない”、あの、”立ちつくす、手をこまぬく”何もしないトップなのですかね。私は、どこかの政権党の政治家を充てましたが、今の政権党のトップにも当てはまりますね。

かなり昔のことです。そう昔でも無いかも知れないですが、”大企業病”という言葉が一時流行しました。 主に規模が大きい企業の組織が官僚的になり、意志の疎通が不十分になってしまい、結果的に経営の意思決定のスピードが遅くなったりして非効率的になったりすることでしたね。また、外部から見ると企業風土が唯我独尊(ゆいがどくそん:世の中で自分だけがすぐれているということ)的になって閉鎖的な企業になってしまうと言われていたりもしました。これは企業内組織の問題でした。それで、”大企業病”を克服させるには、情報共有と権限委譲、少数精鋭集団による積極、果敢、迅速な活動による意志決定の迅速化、あとは果敢な実行につきるのです。そのためには社員のやるき醸成が一番でした。あっているのかな・・・。なんか繰り返しが多いような気がするが、気持ちで・・・。あの時は、まだ日本経済は頑張っていましたね。

これがいつの間にか姿を変えてしまって導入されたのが、輝ける個人、個人さえ良ければという”成果主義”でしたね。”成果主義”は、個人の能力に依るところが大きい職務内容の場合に公正な評価ができる、労働意欲を向上させることができる、といったメリットがある反面、企業の人件費抑制の手段としておおいに使用されました。成果を重視するあまりに、仕事の過程で労働者が反社会的な方法を取る可能性もあるなどのデメリットがありました。そして、一度失敗すると敗者復活もなく、昇進路線からははじき飛ばされましたね。結局、このような成果主義で育った現在の経営者、これが会社全体に無謬主義をはびこらせる原因にもなっているように思いますね。結局は、経営者、トップから末端の社員にまで、無謬、完全無欠を要求することになってしまいましたね。これ、成果主義が始まってから、日本経済、日本企業は失われた10年、20年、そして30年に向かっています。あの、異論はあろうと思いますが、私はそのように考えていますよ。成果主義が企業に導入され、日本の企業が人材育成に力を注がなくなったのでした。
国または企業が滅びるのは、国または企業に人材がいても、それを育て、使いこなすメカニズムが機能しなくなるからですからね。日本の失われた10年、20年はすべて、人材育成の欠如、人材を使いこなすメカニズムの欠如、これからきていると私は考えていますよ。

「経済気象台」のコラム氏は以下を続けます。

「意外に思われるかもしれないが、松下幸之助はよく「60点なら合格、実行だ」と言ったものだ。果てのない議論を続けるよりやってみることだ。結果がおかしければ即刻、軌道修正したらよいのだ。長い議論の果てに始めたプロジェクトは長い議論をしないとやめられない。企業にとっては、やるリスクの方がやらないリスクよりはるかに小さいと心得るべきだ」とね。

意外とは全然思いませんね。「やってみなはれ」という言葉は社員に勇気を与える言葉でした。松下幸之助では無かったと思いますが。

これ、「60点なら合格、実行だ」は企業の成長過程で異なるとは思います。また日本経済が成長期にあった時の企業はこの考えの経営者が多かったように思いますね。ですから、中小企業とか、大企業であっても成長している企業であればこれで良いと思いますね。でも、成長が止まった大企業とか、今回の福島第一原発事故当事者の東京電力みたいに、官(官僚)とべったりな企業のトップは無謬経営にならざるを得ないのではないかと思いますね。経営者として失敗、失点したら、すぐさま経営者失格の烙印を押されますからね。なんと言っても、経営にも口出しする官僚が経営指導しているのですからね。そして、政治家もなんのかんのと口出ししますからね。

果てのない議論より、とにかくやってみようとするのが良いのです。やってみると、こうしたらもっと良くなるということも見えてきますからね。そのように方向転換もできますからね。やってみて、別の解が見つかるかもしれないのですからね。

最後に、「経済気象台」のコラム氏は以下結論づけます。

「政治も同じだ。満点を期すれば決断出来ずに停滞に陥る。経済も政治も竹林の中の所為ではないのである」と。

この文言が、今回の東日本大震災、福島第一原発事故対応における、菅政権、菅総理の指導力、決断力に疑問を投げかけていると思いますね。菅総理が乱立させた「対策本部」で議論ばかりしていては、みんなが良かれ、どなたにとっても良いとの結論は決して出てこないのではないか、と言いたいのでしょう。

菅総理が、なぜ、委員会とか対策本部を作り会議を数多く立ち上げているかと言いますと、対応にあやまちを犯してはいけない、間違いを犯してはいけない、と言った無謬の考えがあるわけです。あやまちや間違いを決して犯してはいないために、竹林の中の所為、つまり、竹林の清談、俗世間を離れた高潔な会議、議論を長々としているのではいけない。委員会、対策本部の会議から出てくる対策、対応が遅ければ遅いほど、結局は菅総理がタイミングを失してあやまった、間違った判断をしたと結論づけられます。それが無謬政治の末路になる訳なのです。菅総理の迅速果敢な号令と対応が求められる所以でもあります。

無謬経営の末路は企業破綻であり、無謬政治の末路が国家破綻でもある訳です。

無謬(むびゅう)経営と無謬政治の末路をつれづれぶろぐしました。

でも、「そんなこと言ってない」、「言わなかった」とかの菅総理の後出しじゃんけんの言葉より、ご自分から、「こうする」、「このようにするから、信頼して欲しい」との発言を総理から聞きたいものです。非常時になればなるほど、トップの発言は勇気を与えるものなんですが・・。この頃は、何も発言しなくなってしまって・・・。日本のトップ、菅総理が日本国民をおおいに元気づける言葉を発して欲しいものです。どうでしょうか。「やります」とのこだまは返ってくるのでしょうか・・・。

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    Excerpt: 無謬(むびゅう)経営と無謬政治の末路をつれづれぶろぐ よこはまふらのつれづれぶろぐ/ウェブリブログ Weblog: レイバン メガネ racked: 2013-07-03 18:06