ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、よもすがら

今回の、ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐは、”よもすがら”です。今回で、18回目になります。團伊玖磨さんの名作「パイプのけむり」、このあとは、”明けても”です。そして、”暮れても”と続きます。

前回、17回目の”ひねもす”ブログに、久しぶりに、「元住民?かな」さんからコメントを頂きました。2回目の”続き”ブログにコメントを頂いて、幌新太刀別川が通称、沈粉(じんぷん)川と呼ばれていたことを教えて頂きました。ほぼ1年ぶりですね。今回は、なんと、あの浅野浄光寺の場所を教えていただきました。私の推測した浄光寺の場所は間違っていました。「あさのQ」さんが教えてくれた火葬場と浄光寺とは近かったのですね。また、墓地の位置もその浄光寺のものだったのではないかと思いますね。そして、なんと、浅野炭坑の町には、お寺が三寺(三ヶ寺の方が正しい?)もあったことが分かりました。それと、さらに大発見がありました。すご~く、気にはなっていたのですが、やはり浅野の町に神社もあったのですね。「元住民?かな」さんの沼田町浅野地域史跡図に(浅野?)神社の記載がありました。私が住んでいた頃ですから、昭和30年以前にその神社があったかどうかは定かではありませんが。というより、昭和方面にはあまり行かなかったような感じがします。でも、ここら辺に、人が通るだけの橋が有ったはず。お米の配給所らしきものもあった筈とブログに書いたこともあり、こんなにも住宅らしきものが増えて、浅野炭坑最盛期にはどんな感じの街だったのだろうと思っていました。今回、「元住民?かな」さんが、神社があったと教えてくれたことにより期待が膨らみます。有り難うございます。

それで、「元住民?かな」さんのコメントです。引用しますね。

--引用開始

「かなりの ごぶさたでした。
いつも拝見はしていたのですが、
お正月に実家に帰った際、多少ですが父より情報収集をしてきましたので、http://pitamo.jp/photo/view/d22a91b57fef0f52edcda64d8217abbb/1919793 こちらをご覧頂ければとおもいます。

それと 閉山の前後ぐらいの冬に、地図の通学路をはさんでわが家の向かいで 火災があり こわかったなーー
なんて記憶がありましたね。」

--引用終わり

「元住民?かな」さんが住んでいたところは、新雨竜駅を出て真っ直ぐ進んで通学路とぶつかった所ですね。私が、浅野小学校1年に入学したときに、写真撮影した写真館があったと記憶している所と同じ場所なのです。もしかしたら、写真館はアーケード商店街を出た所かも知れないのです。今となっては、多分、どちらも、私の記憶違いかと思っています。上記引用文のURLをクリックして頂くと、「元住民?かな」さんが修正された、沼田町浅野地域史跡図を見ることが出来ます。
それと同時に、私のブログにも「元住民?かな」さんの修正された、沼田町浅野地域史跡図を貼り付けます。ご了解下さい。
画像


そして、「あさのQ」さんからもコメントを頂きました。引用します。

--引用開始

「元住民?かなさんは、通学路の橋のふもとに住んでいらしたのですね。浄光寺はやはり火葬場のふもとでしたか。
場所としては、私の記憶と一致します。
当時、飼っていたコロという犬は、私が自転車で街まで出かける時には、そのあたりまではついてきました。街から帰ってきたときには、丘の上でふせをして、ころがるように走り寄ってきました。その丘の向こうには、お墓がたくさんあったような気がしていました。
吊り橋を渡った突き当たりにもお寺があったのですね。
私の自宅の近くにも、西寺というお寺がありましたか。こちらはさらに記憶が不確かですが、もしかして入り口に大きな木があった建物でしょうか?その木は、覚えのある木のうちの一つで、以前ホロピリ湖を訪れた時には、まだあったような気がします。それと、私が木材所と記入した場所は、市場だったのですね。なにか活気のある場所だったことを覚えていました。訂正いたします。元住民?かなさんは、いつごろ浅野にいらしたのでしょうか?」

--引用終わり


「元住民?かな」さんは、昭和38年~43年まで(生まれて~6歳まで)、浅野に住んでおられたそうです。一方、「あさのQ」さんは、昭和40年まで浅野に住んでおられましたね。ご両人とも、私よりは断然お若いのです。

浅野をふるさととする皆さんのお陰で、浅野炭坑の街がずいぶんはっきりと見えてきました。本当に有り難く思っています。今回で、浅野小学校、学校近くの通学路界隈、お寺の位置関係と墓地、新雨竜駅と商店街、映画館、吊り橋界隈、大原町の幼稚園、グランド、プールのあった場所、そして、消防署、神社の場所も分かりました。まして、皆さんの住んでおられたお家までもかなり分かってきました。なんとなく、今でもこの浅野炭坑の街があるのではないかとの想いにひたりますね。

最初に、私のブログに貼り付けた沼田町浅野地域史跡図には、私が動き回っていたところで記憶にあるもの、建物を記載しました。小さかった私にとって、生活に直結する上で、たいしたものはありませんでしたからね。私が当時、分かっていた、建物、場所と言えば、浅野小学校、新雨竜駅、映画館、通学路、配給所と病院、選炭場、そして、私が住んでいた住まいだけでした。私の行動範囲がほんとうに狭かったことが分かります。浅野で生まれて、小学校2年の1学期までですから、昭和30年7月までの記憶で、無理もなかったと思います。

それで、これも、私は今までまったく考えもしなかったことなのですが、「元住民?かな」さんから、神社があったことを教えて頂いたことから、浅野炭坑の町にも、お祭りが有ったのではないかと考えてしまうのです。浅野炭坑の町には3千人から5千人も住んでいたと言われていますね。そうなると、新雨竜駅近くの商店街では、露店もたくさん出て、賑やかな浅野のお祭りが、きっとあったのではないかと考えてしまうのです。そう言えば、浅野小学校も、浅野炭坑最盛期には、1学年3学級も有ったやに伺っています。子供たちのため賑やかなお祭りも行われたと考える訳なのです。そして、お寺と神社、炭坑とのコラボレーションも有ったのかも知れないと考えます。実際はどうだったのでしょうね。

また、少し気になっているのは、昭和方面の山側、神社のそばの建物に、ほとんど名称がついていますよね。ということは、これらは公共の建物のように思えるのですが、もしかしたら、こちらにもお寺があった?とか、炭坑関連の建物なのかとも思うのですが、どうでしょうか。

あっ、さらに、昭和方面で、唯一記憶があるとブログに書いた、人だけが渡れる橋とお米の配給所は、皆さんご存じ有りませんか。私は、遊び友達と一緒にその橋を渡ったことがあり、渡ったその先に、お米の配給所の建物があったとように思っています。それで、沼田町浅野地域史跡図に書き込んでしまって、そのままになっています。ただ、それが、終戦後からあまり年月の経過していない頃で、小学校入学前の時期だったように思うのです。つまり、昭和29年以前と思うのですね。それらが昭和30年以降もずっとあったかどうか、あまり定かでは無いのです。
というのは、私の頭の中には、神社界隈の地図が無いのと同様に、住宅らしきものが多く建っている昭和方面の地図がほとんど無いからなのです。もし、お分かりの方がおられて、教えていただけば、私の頭の中の浅野地図の白地の部分に浅野の街並が広がるかも知れません。よろしくお願いします。

ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、よもすがら でした。

今回のブログも、「元住民?かな」さんと「あさのQ」さんのコメント使わせていただきました。本当に有り難うございました。

この記事へのコメント

元住民?かな
2011年02月28日 15:11
http://premium.rara.jp/photo/d4c228d28433eadb61b5ed4f4e1498a7/1922983

第2弾 商店街を少し更新しました。
編集に不慣れのため小刻みに更新となり、
すいません。 ちなみに、わが家は 床屋でした。
私の小学校入学に合わせての引越しだったようです。
炭鉱の閉山、鉄道の廃線後、ダムに沈むまでの何年間は祖父母がぎりぎりまで住んでいて、夏休みに何度か遊びに行った思い出があります。人が住んでる家がまばらで、寂しい風景でしたね。
小学校跡地あたりから沼田までバス出ていて沼田農協に買出しにいきましたね。後、深川駅のウロコ団子かな!

現在は、札幌在住、息子&孫各2人東区に居ます。
2011年02月28日 22:19
アーケードの床屋は、菅原床屋ですね。(商店なので実名で書きました。)床屋の斜め向かいは板金屋(煙突屋)でした。ブリキにはハンダ付けできないはずなのに、石鹸受けにハンダ付けしているのが、不思議で眺めていました。ブリキの直角曲げを教えてもらったような気がします。通学路からのアーケード入り口に本屋がありましたね。当時は「少年」と「週刊サンデー」を定期的にとっていましたが、その店でマンガを読んだ記憶はありません。大人の本の表紙を、遠目でながめていました。
ラジオ店は、T字路を右に曲がった方でしたでしょうか?私の記憶では、左折して大沼時計店の付近だったように思いますが?複数あったのかもしれませんね。
T字路の突き当たりには、そろばん塾がありました。ほとんどの野球仲間が習っていましたので、その時間になると、大原のグランドからみんなで出かけました。私は習っていませんでしたので、塾の前で自転車をこいで終わるまで待っていました。終わったらまた野球。のどかな時間を過ごしていましたね。

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    Excerpt: ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、よもすがら よこはまふらのつれづれぶろぐ/ウェブリブログ Weblog: レイバン サングラス racked: 2013-07-03 17:04