ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、ひねもす

今回の、ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐは、”ひねもす”です。今回で、17回目になります。團伊玖磨さんの名作「パイプのけむり」、この次の巻は、”よもすがら”です。そして、”明けても”、”暮れても”と続きます。

これだけ、「ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ」が長く続くのは、やはり、旧浅野炭坑をふるさととされる方が多く居られて、ブログを読んでいただけるからですね。本当に嬉しく思います。その上、コメントまで頂いて、感激しています。ホロピリ湖に沈んだ、あの浅野炭坑の街並が甦ってくるようです。まるで、ホロピリ湖の水の上に、幻の浅野炭坑の町が現れてきたような感じがしてきます。

前回の”さてさて”ブログに、あさのQさんとMKさんからコメントを頂きましたので、今回のブログで、引用、紹介させていただきます。”さてさて”ブログにコメントが追加されてはいますが、本ブログに再掲させていただきます。あさのQさんのブログにもアクセスできますからね。あさのQさん、MKさん、いつも有り難うございます。お陰様で、旧浅野炭坑の町の佇まいが、はっきりと見えてきたように思います。

まず、あさのQさんからの2月20日付けコメントです。

--引用開始

「浅野Qです。紹介していただき、ありがとうございます。
浅野にあったお墓について、私のおぼろげな記憶ですが、写真に書き込んでみました。
http://08046784.at.webry.info/201102/article_1.html
火葬場の近くですので、それらしいとは思いますが、あまり確かな記憶ではありません。」

--引用終わり


次に、MKさんからの2月20日付けコメントです。

--引用開始

「こんにちは。いつも楽しく読ませていただいてます。
先日母に浅野にお寺があったかどうか聞いてみたところ、「つり橋を渡ってまもなくの所にあったけど、お寺の名前までは分からない」との事でした。そのお寺が浄光寺ではないかもしれませんが、我が家の近くにお寺はあったようです。私達は閉山して浅野を出るまで、つり橋の右下辺りの広場(遊具のある公園でした)のすぐ脇に住んでました。以前公開した閉山後の写真で、荒れた街の一枚はこの辺りを写したのだったかな・・・とも思うのです。ここには2年程住みましたが、その前に「古河会館」と思われる建物の手前に家を借りていました。昭和40年頃ですが、古河会館の建物は当時なかったはずです。小学生の兄が42年頃、怪獣の映画を見たとか言ってましたが、浅野会館だったのかな。母は「廉売の奥に映画館があったはず」と。やはりアーケードのことを『レンバイ』と言ってたのでしょうかね。」

--引用終わり


さらに、あさのQさんの2月21日付けコメントです。

--引用開始

「やはり、お墓に関する私の記憶は違っていたかもしれませんね。
MKさんは、吊り橋のあたりに住んでいらしたのですね。この吊り橋は、プールや大原のグランドに行く時に、自転車に乗ってよく通りました。タイヤが吊り橋の板に挟まりそうで、怖かったのを覚えています。
史跡図の吊り橋を右から左に渡り、左折して郵便局へ向かう途中に、同級生のT樫くんの家がありました。大きな家で、馬を飼っていて、家の前の道路には、ずっと馬糞が敷き詰められていました。馬小屋の馬の尻にまたがって遊んだ記憶があります。ご存じありませんか?」

--引用終わり


そして、MKさんから2月23日付けコメントです。

--引用開始

「私はまだ小さかったので、つり橋の向こうへは一人で行けませんでした。(ホントに怖い吊り橋でしたね)いつもは、ふらぬいさんの通学路である表の通りを母と歩いていたので吊り橋の向こうは知らないのです。
浅野Qさんの教員住宅には行ったことがあります。何軒か並んでいる住宅の一つで小学校の先生のお宅でした。息子さんが確か2人いて、親切な弟さんが「回り将棋」なるもので遊んでくれました。奥様が母と知り合いで、割り箸に巻きつけた水飴をご馳走して下さいましたよ。あさのQさんはその頃、もう住んでなかったかもしれません。
私は閉山の11月まで幼稚園に通ってました。ふらぬいさんの通学路の橋を超えて浴場手前を左折、炭住を三棟過ぎた所が幼稚園でした。そこへは一人で通ってました。」

--引用終わり


あさのQさん、MKさん、いつも私のブログを読んで頂いております上に、浅野情報及びコメントを頂き本当に有り難うございます。まして、お母さん同士がお知り合いでもあったようで、うらやましい限りです。これからもどうぞよろしくお願いします。

それで、お寺の「浄光寺」は吊り橋の突き当たりの建物のようですね。沼田町浅野地域史跡図では文字がつぶれていて、見にくいのですが、一番上の文字が”浄”のように見えてきます。ここに、きっと「浄光寺」があったのでしょう。それも間違いないのではと確信しました。もし、「浄光寺」の場所を知って居られる方がいて、違う場所を指摘されたら、その時には修正します。沼田町浅野地域史跡図に描かれてはいませんので、これも推測ですが、お寺の裏の山側に墓地が続いていたのではないかと思います。山側に延びている道が、なんとなく、ここからお墓、そのような感じで途切れていますね。多分、その先が墓地であったように思います。あさのQさんが指摘の墓地、小規模の墓地かもしれませんが、もあったのではないかと思いますね。

二つあった映画館のうち、「古河会館」の建物が昭和40年代には無かったらしい、というのもこれは確かなようですね。私が小学校に上がる前とか、小学校1、2年の頃、つまり昭和25年から30年頃には、通学路の橋を渡って右折した道の奥に映画館がポツンと一館、建っていたように思います。映画館の建物の周辺には、沼田町浅野地域史跡図が示すように、こんなにもたくさん建物は無かったように思います。昭和30年代後半からテレビの普及に押されて、どこの町でも映画館の閉館はありました。テレビが家庭に普及するにつれ、娯楽の殿堂?であった映画館はその使命を終えていきましたからね。私の第2の故郷、空知郡上富良野町でも、2館あった映画館が昭和30年代に1館になって、私が町を離れてから、まもなく、残り1館だけあった映画館も閉館してしまったのでした。小中学校時代の友人とは、昨年末東京で開催された、ふるさと会で、閉館した映画館がどうなっていったかの話で盛り上がりました。その時には決まって、懐かしい友人の名前と顔が出てくるのです。今でも、上富良野町に映画館は1館もありません。
沼田町浅野地域史跡図への「古河会館」の書き込みは、そのような懐かしい思い出の映画館としてのものでした。あの建物は多分、別の目的で使われ続けていて、そして、取り壊されてしまったのかもしれません。

さらに、今回のお二人のコメントで話題になっていた”吊り橋”ですが、私の浅野時代、昭和30年以前には無かったような気がします。と言うより、私がそちらの方へ足を踏み入れた記憶がまったく無いのです。ということは、私の友人も住んではいなかったのではないかと思います。思うに、”吊り橋”の方の住宅は昭和30年以降に新しく建設されたのではないかと思います。なんと言っても、私も、小学生1、2年で、行動範囲が狭かったのでしょう。通学路の両側をおぼろげに思い出すくらいですから・・・。
私が小学校の頃にはMKさんの幼稚園は無かったと思います。そもそも浅野の町に幼稚園も無かったと思います。MKさんが指摘の同じ炭住(グランド側ではない方の炭住)の道路から2棟めくらいの所に友人がいたような気がします。お家に出掛けて遊んだ記憶があるのですが、誰だったか・・・。吉信君、孝一君かな・・・。もう、55年以上も前のことですからね。間違っているかも知れません。

今回の沼田町浅野地域史跡図には、「浄光寺」を追加させて頂きますね。アーケード商店街、廉売(レンバイ)の奥の映画館と思われる「浅野会館」と、私が勝手に「古河会館」と名付けている映画館は?マーク付きで、そのままとさせて頂きます。
画像


あの、旧浅野炭鉱をふるさととされる方、札幌在住浅野山浄光寺檀家の方、また、札幌で開催された浅野小中学校同窓会(浅野ふるさと会)に出席されたことのある方で、沼田町浅野地域史跡図をもとに、このような思い出の場所、建物があった、ということがありましたら、教えて下さい。それで、旧浅野炭鉱の町でこのような出来事、思い出があったという話から、もっともっと浅野炭鉱の町が見えてくるのかも知れません。よろしくお願いします。

ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、ひねもす でした。

なお、
あさのQさんのブログは
http://08046784.at.webry.info/
にあります。そして、
MKさんの写真は
http://photos.yahoo.co.jp/ph/mie99koba/lst?.dir=/89b5&.src=ph&.order=&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/
にあります。
今回のブログは、あさのQさんとMKさんに”おんぶにだっこ”のブログでした。有り難うございました。

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この記事へのコメント

元住民?かな
2011年02月25日 16:41
かなりの ごぶさたでした。
いつも拝見はしていたのですが、
お正月に実家に帰った際、多少ですが父より情報収集をしてきましたので、http://pitamo.jp/photo/view/d22a91b57fef0f52edcda64d8217abbb/1919793 こちらをご覧頂ければとおもいます。

それと 閉山の前後ぐらいの冬に、地図の通学路をはさんでわが家の向かいで 火災があり こわかっかなーー
なんて記憶がありましたね。


2011年02月25日 23:13
元住民さんは、通学路の橋のふもとに住んでいらしたのですね。淨光寺はやはり火葬場のふもとでしたか。
場所としては、私の記憶と一致します。
当時、飼っていたコロという犬は、私が自転車で街まで出かける時には、そのあたりまではついてきました。街から帰ってきたときには、丘の上でふせをして、ころがるように走り寄ってきました。その丘の向こうには、お墓がたくさんあったような気がしていました。
吊り橋を渡った突き当たりにもお寺があったのですね。
私の自宅の近くにも、西寺というお寺がありましたか。こちらはさらに記憶が不確かですが、もしかして入り口に大きな木があった建物でしょうか?その木は、覚えのある木のうちの一つで、以前ホロピリ湖を訪れた時には、まだあったような気がします。それと、私が木材所と記入した場所は、市場だったのですね。なにか活気のある場所だったことを覚えていました。訂正いたします。元住民さんは、いつごろ浅野にいらしたのでしょうか?

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