ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、さて

今回の、ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐは、”さて”です。今回で15回目になります。公開の頻度が最近多くなりましたね。あの沼田ダムのダム湖、ホロピリ湖に沈んでいる、ふるさと浅野炭坑を思い出すブログを書くのは私にとって本当に嬉しいことなのです。

今回のブログでは、前回の”またして”ブログにQさんからコメントを頂きましたので引用させて頂きます。Qさんが、”あさのQ”ブログを立ち上げ、公開してくれました。

--引用開始

BIGLOBEウェブに登録しました。
http://08046784.at.webry.info/201012/article_1.html
史跡図に少し追記してみましたので、よろしければご覧下さい。

引用終わり--

Qさんの”あさのQ”ブログに是非アクセスして下さい。あの浅野炭坑の町が少しずつ甦ってきますよ。すっかり嬉しくなってきました。

それで、独り占めもなんですので、私のブログにも貼り付けますね。Qさん、有り難うございます。
画像


あの沼田町浅野地域史跡図にQさんが記憶されている浅野の町を追記してくれたのです。郵便局、アーケードと映画館(こちらが浅野会館?)、大沼時計店、堀田商店、公衆浴場などなど。なんと、浅野の町にスキー場が二つもあったのですね。曙町にスキー場があったということは、私が住んでいた曙町住宅の裏側、深い山林、と思っていましたが、に開発の手が入ったのでしたね。小学校のそばにもスキー場があったんですと。

昭和52年浅野空撮写真を貼り付けますね。私のブログ”また”で使いました。Qさんのと違い、下のURLをクリックして下さい。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-18/c5a/cho-77-18_c5a_24.jpg

この空撮写真を見ますと、確かに浅野の町は山に囲まれていました。写真下方向ですが、幌新、恵比島側に行くに従って両側の山が迫ってくるようで、平地が狭まっていますからね。それで、ダム湖にするのに、し易かったのですね。納得しました。
また、その空撮写真からは曙町の山の部分は随分開発が進んだと思いました。それは、山林が大きく畑とか草地に変わっていたからです。私にはそのように見えました。そして、その畑とか草地が冬にはスキー場になったのでしょうね。
その曙町のスキー場は、私が小さい時に分け入って遊んだ山林とは違った方向ですね。私が分け入ったのは、以前、写真でお見せした私の曙町住宅の左手奥の山林です。その山林も空撮写真では開発されて山林では無くなっているように見えました。住宅裏側奥の山林、のちの曙町スキー場、に入った記憶はありません。昭和52年の空撮写真では曙町の山側の山林が畑とか草地になり、さらに随分山側に山林が引いているように見えます。この状況にあっても、浅野地域史跡図に曙町の住宅がほとんど増えていないのが私には不思議だったのです。曙町の住宅開発は昭和30年頃で終わってしまっていたのでしょうかね。これで、昭和52年の空撮写真と浅野地域史跡図への疑問が解けました。また曙町スキー場に行く道路は病院の前に続く坂道だったのでしょうね。そして、さらに坂を上っていくと曙町スキー場があるという構図だったのでしょうか。

曙町の住宅が昭和30年頃とあまり変わっていないことを考えますと、曙町スキー場の下側にある住宅には、私の友人、名前は思いだせませんが、がいて、パッチやビー玉をして遊んだ記憶があります。私が小さい時ですよ。
病院の前の坂を上りきって、そこから左に行くと、ゆるやかな上りが続いて私の家まで行くことができるのです。その道を、途中で右折、上りの道を上りきったところにも住宅がありました。その家の前で、パッチやビー玉をやって遊んだのですね。でも、さらに山側の方向には遊びに出かけた記憶も、どのようになっていたかも、今では憶えていないし、思い出せないのです。写真があればと思いますが無理でしょうね。

浅野炭坑の閉山が昭和43年11月ですから、その後、2~3年は浅野の町に住人はいた訳ですね。MKさんが公開してくれた写真には、昭和45、6年で、もう人の営みが感じられないのではありましたが。かって、この浅野の町に3千人、もっとかな、を越す住人が生活していたことを示す確証でもありました。今回、Qさんが”あさのQ”ブログを立ち上げ、公開されて、昭和40年代の浅野の町を再現してくれたことに感謝するものです。

私が前回の”またして”ブログでお米の配給所があったのではと書きましたが、よく考えて見ますと、戦後の食糧事情の悪い時のことで、昭和30年以降は配給制度も配給所も無くなったのではないかと思いますね。私がその後、北海道空知郡上富良野町に移った時に、その町には配給所みたいなお店は無かったですからね。農協ストアが町で一番大きな店、何でも売っている店でしたからね。それで、Kenさん言われる、”レンバイ”は、配給所が名前を変えて、何でも売っている店、今で言うところのスーパーみたいな店だったのでしょう。どこかで、農協連即売所が”レンバイ”と呼ばれていたと書かれていたような気もします。もしかしたら、お米の配給所が”レンバイ”になったのではないですかね。これも自信はありません。でも、私がお米の配給所があったのではと指摘したところにある住宅は、浅野地域史跡図では私の記憶より随分増えたように思いました。これも、うろ覚えで私の記憶が間違っているのかも知れませんが。

今回のブログでは、Qさんが公開した”あさのQ”ブログの浅野地域史跡図(Qさん版)をみながらつれづれぶろぐしました。お陰様で、旧浅野炭鉱の町がホロピリ湖面に浮かんきて、さらにはっきり見えてきたような気がします。

ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、さてでした。

私が勝手に思いつきで書いている部分もありますので、浅野をふるさととする方のコメント、私の間違いの指摘等歓迎します。よろしくお願いします。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック