ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、なおなお

今回の、ふるさと、北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐは、”なおなお”です。この次は、”重ねて”になるのですが、あまり使った表現ではなく憶えていられるかどうかですね。では、”なおなお”、いきますよ。

先日、10月4日ですが、旧浅野炭坑を故郷にする方から、「ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、なお」、にコメントをいただきました。 お名前、ニックネーム等は書いておられませんでしたので、ニックネーム又はお名前を添えてのお礼にはなりませんが、コメントを頂いて、嬉しかったですよ。本当に有り難うございます。

しかも、あの、浅野中学校の同窓会が行われたことまで書かれておりましたので、嬉しくて、すっかり舞い上がってしまいました。このブログで、その文章を引用させていただきますからね。

「先日9月25日 浅野中学校同窓会がありました。定山渓小金湯温泉で昭和40年卒業の約30人位が集って懐かしい浅野の話をしました。今思い返しても 楽しいところでした」

と、書いてありました。

浅野炭坑の浅野中学校を昭和40年卒業ですから、私、ふらぬいより2歳、お若いことになります。私が、浅野炭坑の町を離れたのが昭和30年7月、浅野小学校2年の時でしたので、浅野中学校同窓会に出席された方で、浅野小学校に入学されていた方はおられなかったのですね。でも、浅野炭坑の町のあの賑やかな通りで、もしかしたら、お目にかかった方がいるかも知れないと思いますと、本当に嬉しい気持ちになります。定山渓小金湯温泉での浅野中学校同窓会、愉しかったでしょうね。故郷を語りながらの同窓会、私にも、その喜びの一時が目に浮かびます。

定山渓の小金湯温泉は定山渓温泉としては、それなりに古い温泉ですね。車で札幌から定山渓温泉に国道230号で出掛けると途中にありますね。また、1969年11月に廃線になった定山渓鉄道の小金湯停留所の近くなのでしょうか。私は、札幌駅の0番線ホームから発着していた定山渓鉄道を利用したのを憶えています。そして、定山渓鉄道が廃止になったのも憶えています。私が札幌に住んでいて、大学4年の時でしたから。やはり、旧浅野炭坑出身者は札幌在住の同窓生が多いので、定山渓が同窓会会場になったのでしょう。

私は。昨年の9月、今回の浅野中学校同窓会とほぼ同時期に、大学の還暦同期会が定山渓温泉ふる川で行われたことを、このブログに書きました。東京、横浜から出掛ける者にとっても、札幌、定山渓は同窓会、同期会会場として好適な場所なのです。

同窓会、同期会に白黒写真ですが持ちこんで、見せ合うのも愉しいことですね。まして浅野炭坑はホロピリ湖の湖の下に沈んでしまっているのですからね。どんな一枚の写真でも、そこから話しが発展します。まして昔は今みたいに写真の枚数は多くはありませんからね。

選炭場、新雨竜駅、浅野小学校、浅野中学校、炭坑住宅、浅野の商店街、配給所、映画館、幌新太刀別川(沈粉川)などの写真があれば話しは尽きないでしょうね。

本当に、うらやましく思いました。コメント有り難うございました。

それで、今回の”なおなお”ブログですが、旧浅野炭坑の曙町でのちょっとした出来事を書きたくなりましたので、皆さんに、もしかしたら、な~んだ、と言われるのも厭わず書こうと思います。当時、小さな私の、曙町での出来事です。小さいときのことですからたいしたことではありません。でも、心(こころ)に残っている小さな事柄です。その背景を説明するため、あの、沼田町浅野地区史跡図は、今回の”なおなお”ブログでも必須ですから貼り付けますね。今回は史跡図の右上、曙町住宅に注目して下さいね。

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さらに、以前、「ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ」で使った写真をもう一回使います。

この(1枚目の)写真は、雪解け時の写真ですので、昭和30年4~5月の写真だと思うのですが、私が小学校2年の時のものです。浅野小学校の同級生(吉信君と孝一君です)と一緒に撮りました。父が谷の向こう側から撮ったものです。谷がそんなに大きなものではないことが分かります。
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同級生の彼らとは音信不通ですので所在は不明ですが、浅野時代の親友として今でも思っていますよ。

次の(2枚目の)写真は、2棟(1棟に2家族が住みます)あった炭坑住宅の、手前の方にあった住宅の裏側から撮ったものです。というより、この写真の右側が山になっており、この山の右側手前に2階建ての住宅が、やはり2棟(少し曖昧で不安ですが)ありました。その住宅と、この写真に写っている2棟を繋ぐ小径で父が撮ったものです。住宅の裏側が畑になっており、私が住んでいた写真奥の住宅は、手前の住宅より、少し高みにあります。さらに、その奥は、私が遊び回った裏山に続いていました。写真からも分かりますね。
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沼田町浅野地区史跡図では写真の2棟の手前に住宅が2棟ありますが、私の記憶のなかでは道路から離れて、もっと右側にあったように思います。

これらは、私の手許にある、曙町の炭坑住宅を撮した、数少ない写真ですからね。貴重品です。今から思い起こすと、父は既に浅野炭坑を辞めることを決意し、空知郡上富良野町に新しい仕事を見つけていたのだと思います。

それで、その曙町でのことですが、

私が住んでいた、曙(あけぼの)町の炭坑社宅の家の前は、車が入れるくらいのスペースがあって(当時は車なんてほとんど走っておらず、リアカー(わかりますよね、説明しませんが)が入るくらいのスペースのこと)、その先は小さな谷(谷より沢がいいのかな、でも谷でいきます)になっており、谷川、小川(人が飛び越えられる)になっていました。その谷の向こう側は畑になっていました。ですから、そんな大きな谷ではありません。また川の水はほとんど流れていなかったように思います。多分流れるのは春の雪解け時のみのような気がしています。

私の家に向かって、左手奥には私のような子供にとっては、それなりに大きな池がありました。もしかしたら雪解け水がたまって出来た池かもしれません。その池と谷川とは繋がっていたのかどうか記憶はあやふやですが、多分繋がっていたのではないかと思います。私はその池で木の筏に乗ったり、魚を釣ったりした記憶があります。釣った魚の種類はわかりません。さらに、私は浅野小学校1年生の時に、この裏の池のことを作文に書き、沼田町関内の小学校の作文集に載せてもらった記憶があります。作文の題名は、「こおり」だったと思います。裏の池に大きなこおりが張ったので、小さい私が、そのこおりに乗ったり、割ったりして遊んでいるさまを作文にしたものです。この大きな池が、昭和30年7月の引っ越し時にもあったと記憶しています。でも、旧浅野炭坑の町のどの地図を見ても、池らしきものは見あたりませんでした。埋められたか、干上がってしまったのかも知れません。ちょっと寂しい感じがしますが、なんと言っても昔のことですから。

また、曙町の炭坑住宅の前側は谷川になっていたので、冬の時期、屋根に積もった雪は、家の前側に落とし、その結果、積みあがった雪は谷川に落とせばいいわけです。しかしながら、家の裏側に落とした雪は、そのまま積もりました。当時は屋根からおろした雪と、降り積もった雪で、窓も完全に埋まってしまうくらい雪が積もりましたので、長兄、次兄は積もった雪の中にトンネルを迷路のように掘り、ところどころに、ろうそくの明かりを灯し、中を歩けるようにしてくれました。一番奥まったところに大きな部屋をつくり、食べ物を食べたり、ちょっとしたお話ができる秘密の基地を作ってくれたのを憶えています。当時は雪が積もり、雪解けが近くなるまで、雪洞を掘って遊んだものでした。友達を呼んで、雪の洞窟探検をしたこともありました。今でも、時々思い出すことがあります。曙町の炭坑社宅の裏側はそれなりの広さと、雪が積もりやすい構造になっていた記憶があります。

私の住んでいた曙町の炭坑住宅が、町の一番奥にありましたので、写真でお見せしたように、裏は、すぐ山に続いていました。秋には、山に分け入り、”やまぶどう”とか”きのこ”、名前は、”ぼりぼり”とか”むきたけ”、”なめこ”などを採りに出掛けました。”こくわ”は採った記憶はありません。冬から春先にかけては、かばの木だと思いますが、名前がはっきりとは分からないのですが、その木にキズを入れ、そこから得られる木の汁を空き缶に集めた記憶があります。それが、ほんのりと甘く、ちょっとした飲み物がわりでした。また、白樺の木からは”がんぴ”を採って、石炭ストーブの石炭に火をつける、まき(きくず)の着火用に使いました。石炭ストーブを焚くのはちょっとコツが必要だったのですよ。もちろん、私がガンピに火を点けたのではなく、もちろん父母がするのですがね。

私は小学校2年の1学期までしか浅野炭坑には住んでいませんでしたので、自分が主体になって何かをしたということではなく、いつも、二人の兄に着いて山に入り、兄達の指示で、山遊びをした、してもらった気がするのです。

炭坑住宅の裏がすぐ山になっていましたが、スキーやそり遊びをした記憶はありません。小さかったからなのでしょう。スキーやそりは我が家に確かに有りましたからね。

ふるさと、旧浅野炭坑の町で何をやって遊んでいたのだろうと思いますと、たいして思いつかないんですね。勉強なんてしていたことは無いですので、いつも何かして遊んでいたのでしょう。こんなことを考えていると、やはり一緒に遊んだ仲間が身近にいないことが、何をやって遊んだか分からない、そんな感じにさせるんですね。

今回の”なおなお”ぶろぐは、浅野中学校の同窓会を定山渓小金湯温泉でありました、とのコメントがきっかけで書き始めましたが、やはり自分の記憶だけでは、断片的な思い出にしかならないこと分かりました。そのためにも、ふるさとの同窓会、同期会が、あやふやで断片的な記憶を埋めてくれる役割を果たすのですね。

私のブログにコメントを頂いた、浅野中学校同窓会をうらやむブログになってしまいました。忸怩たるものがあります。でも、ブログに頂くコメント、本当に嬉しいです。

ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、なおなお、でした。


ニックネーム、「よしのぶ」さんから、10月7日、早速コメントをいただきました。あの写真中央の吉信さんからですね。なんと、55年ぶりに音信不通が解除されました。嬉しく、かつ懐かしく拝読しました。
浅野小中学校の同窓会(浅野ふるさと会)の幹事会が、札幌のホテル モントレエーデルホフにて、16日(土)17時からあることまで連絡していただきました。中央区北2条西1丁目にあるホテルですね。本当に有り難うございます。ということは、浅野ふるさと会が近々開催されるということですね。
「よしのぶ」さんにお願いですが、もし出来ましたら、このブログのコメントにても結構ですが、浅野ふるさと会に出席したい方のために、開催場所、開催日時、出席するための連絡先等教えていただけると嬉しいのです。
浅野に住んだ方で、浅野のふるさと会のことを知りたいとのコメントを頂いている方も多くおりますゆえ、よろしくお願いします。もし浅野のふるさと会のホームページ等があればそちらの連絡でもよろしいのですが。
(ふらぬい 10月7日追記)

ニックネームQさんからも、10月10日にコメントをいただきました。Qさんからは、何回かコメントを頂いていますし、浅野情報も頂いており、感謝しています。Qさんのお父上が浅野中学校で教師をされていたとのことで、(しかも、Qと言うニックネームだったらしいのです)、昭和40年の浅野中学校卒業同窓会の皆さん(あの”なお”にコメント頂いた方です)は、当時、浅野中学校にQというニックネームで呼ばれていた先生をご存じかどうかの質問でもあります。

Qさんからのコメントを貼り付けます。

「また、コメントさせてください。私のニックネームは、当時、中学教師だった父のあだ名を引き継いだものです。小学生だった私も、Q と呼ばれていました。浅野には、小学2年生から中学に入学した直後、つまり昭和40年5月までいましたので、40年に中学を卒業された方は、父のことを覚えておいでではないでしょうか?
いずれにしましても、ふるさと会などの情報がありましたらぜひ、教えてください」
との内容です。

浅野中学校を昭和40年卒業の同窓会参加の方で、ニックネームQさん宛て、このブログにコメント回答をいただける方がおりましたら嬉しいです。
(ふらぬい 10月11日追記)

 

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この記事へのコメント

よしのぶ
2010年10月07日 12:17
はじめまして大島吉信と申します。
私も浅野出身の昭和22年生まれです、後輩から連絡をもらい、覗いてみました。本文の吉信君はもしかして私の事かな?。16日(土)浅野少中学校 同窓会(浅野ふるさと会)幹事会有り、札幌のホテルモントレーエーデルフホフ17時です。
Q
2010年10月10日 21:37
また、コメントさせてください。
私のニックネームは、当時、中学教師だった父のあだ名を引き継いだものです。小学生だった私も、Q と呼ばれていました。浅野には、小学2年生から中学に入学した直後、つまり昭和40年5月までいましたので、40年に中学を卒業された方は、父のことを覚えておいでではないでしょうか?
いずれにしましても、ふるさと会などの情報がありましたらぜひ、教えてください。
優作
2010年10月28日 12:54
懐かしさと、嬉しさで涙が出る位びっくりしました。
ありがとうございます。
昼休みになんとなく浅野のことを思い出しネットを検索していたら、このブログにヒット、僕は名古屋在住の昭和42年浅野小学校卒業、昭和44年の5月まで、浅野中学校に在籍していました。本当に嬉しいです。
ノブオ
2011年10月25日 12:52
名古屋からです、久しぶりにとても素晴らしいものをよませていただきました、ありがとう、昭和45年4月まで、浅野に住んでいました、当時浅野中学校3年です。
ノブオ
2011年10月25日 12:59
先ほど投稿したノブオです、昭和45年と書きましたが、昭和44年4月でした、ごめんなさい。
永江聡
2012年10月04日 19:38
JR深名線路線バス廃止

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