ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、なお 

今回の、ふるさと、北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐは、”なお”です。

旧浅野炭鉱は沼田ダムのダム湖であるホロピリ湖に沈んでしまって、美しいホロピリ湖の写真を見ていても、なかなか故郷を思い出すことにはなりません。まして、人が入ることの出来ない秘境にもなって、観光客も旧浅野炭鉱の街があったところまではなかなか入って行けないようです。

先日、横浜市立緑図書館に出掛け、本を数冊借りてきました。その中の1冊に、地図から消えた鉄道実地踏査60「鉄道廃線跡を歩くⅦ」宮脇俊三編著がありました。その中に、恵比島ー昭和炭鉱を結んでいた留萌鉄道が掲載されていました。”雨竜山地に分け入った石炭鉄道の夢の跡”と題して、留萌鉄道の開業から廃止、さらに留萌鉄道の起点の恵比島駅が、NHKの連続ドラマ「すずらん」の架空の駅「明日萌(あしもい)」となって有名になり、一時的に観光地になったことが書かれていました。もうすでに留萌鉄道の線路は撤去されてから時間が経っており、線路の跡の特定すら難しい、廃線跡歩きになっています。私が注目したのは、やはり旧浅野炭鉱の部分でしたが、”沼田ダムが造り出したホロピリ湖の下に消えている”との記述で、なんら郷愁を誘うものではありませんでした。どこかに、見覚えのある景色、景観を探しましたが、むなしい試みだったように思います。

”浅野炭山、宝沢、太刀別とあった各駅も湖に沈むか、湖畔の茂みに隠されているようだ。唯一、ホロピリ湖最上流の春月橋からコンクリートの鉄道の橋台を見ることができる”、と鉄道の橋台を遠くに望む白黒写真が貼付されていました。写真自体なんら郷愁を誘うものではないのですが、場所の確認のため、いつもの、沼田町浅野地域史跡図にその場所を追記しました。史跡図の右下のところです。私はこちらに出掛けた記憶がないので、あまり、懐かしいという感じはもちませんでした。
画像


著者は、さらに、”かって線路はここからトンネルを抜け、幌新太刀別川の渓谷をさらにのぼっていった”、と続けます。そして、”いくつかの沢に朽ち果てた橋台を見て、やがてルートは未舗装の林道へ入り、分岐から約2Kmで終点の昭和炭鉱に至る”、と書いています。昭和炭鉱の記述は私のブログから離れますので省きます。

どこでもそうですが、故郷はダムに沈んでしまうと、結局は、人々には何も残さないのですね。少しがっかりして、地図から消えた鉄道実地踏査60「鉄道廃線跡を歩くⅦ」を読み終えました。もう、40年近く前に閉山した浅野炭鉱は選炭場のホッパーが、湖の上に時々顔を出し、唯一の思い出の建物になってしまっているのです。

恵比島から昭和まで、雨竜山地に分け入っての留萌鉄道の廃線跡歩きで、もしやもしやの浅野炭鉱閉山前の街の営みとか、新雨竜駅、幌新太刀別川の流れとか当時の思いでが少し甦るかもと読み進み、読み終えました。雨竜山地に分け入った感慨はありましたが、少し寂しい思いは否めませんでしたね。

はかない期待を抱いて、”雨竜山地に分け入り、石炭鉄道の夢の跡を探しました”が、やはり、4、50年前の当時の写真を見つけることは難しいことなのでしょう。

気分転換も兼ね、雨竜郡沼田町浅野炭鉱で、
Google Mapをアクセスしていて、ホロピリ湖の地図なのですが、旧浅野炭鉱の市街地が少し見えている地図がみつかりました。航空写真なので、どんどん拡大するとはっきり見えてきます。使い慣れないと、扱いが少し難しいのですが、なんとホロピリ湖の水が少なくなった時に撮ったものと思います。貼り付けますね。

http://maps.google.co.jp/maps?ll=43.935947,141.930056&spn=0.011558,0.041628&t=h&z=15&lci=com.panoramio.all,com.youtube.all,org.wikipedia.ja,com.google.webcams&brcurrent=3,0x5f0c5a1fd4afc66b:0xd11c457238de425a,1,0x5f0c5f50b72660b7:0x8bbecb7fbfb54bb8

旧浅野炭鉱の市街地があった場所がはっきりと見えます。あの選炭場のホッパー、道路や幌新太刀別川の流れの跡が、先にお見せした沼田町浅野地域史跡図と、これも以前ブログでお見せした、昭和52年の旧浅野炭鉱の地図とほぼ同じですね。ということは、ホロピリ湖の湖水が少なくなると、このように旧浅野炭鉱の市街が、ほとんど見えることもあるということですね。2010年のGoogle Mapの航空地図なのですが、すばらしいでしょう。新しい道路(多分道道867号?)が昔と全然違う所を通っていますので、ホロピリ湖内の旧浅野の市街地に降りていくのも大変なのかもしれませんね。また、航空写真だと昔の道路がそっくり残っているように見えますね。ただ、選炭場の方から、幌新太刀別川の橋を渡って市街に入るところは緑になっているように見えますので、湖水が残っていて湿原になっているか、さらに草木が多く生えているようですね。この航空写真からは、先ほど貼り付けた旧浅野の市街地の以前の姿を確認するのは無理なようです。

私は、この写真を見て、曙(あけぼの)町の一番奥にあった、昔、私の家族が住んでいた炭鉱住宅の場所は水没していないように思いました。でも、そこに行くための道路はありませんね。私が住んでいた住居の前はかなり深い谷でしたので、建物はブルドーザで倒されたとしても、土地ごと谷に落としこんでいない限り、どこかに住居の痕跡は残っているような気がします。でも、住んでいたのは55年前ですから、やはり無理かな。

どうでしょう、曙町は、病院、配給所や古河雨竜鉱業の事務所のあったところから、山側に急な道を登って行くきましたので、かなりの部分が水没を免れたのではないでしょうか。お分かりになる方はおられますか。ダムの管理事務所の方に聞けば分かるかも知れませんね。

この地図では残念ながらストリートビューは使えませんでした。もし、ここで、ストリートビューが可能で、少なくとも新道を通ることが出来るなら、Google Mapをベタ誉めするところでした。やはり無理でしたね。

けれども、時々このように旧浅野炭鉱の市街(といっても、何も痕跡はないのですが)を見ることができるならば、時期を選んで、故郷探訪もできるかもしれないと、少し自信をもちました。私、個人としては、昭和炭鉱は廃墟となっても何か痕跡は残っているが、浅野炭鉱はホロピリ湖に沈んで何もない、と昭和炭鉱をうらやましく思っていましたが、時々姿を見せる、旧浅野炭鉱のふるさと見学もいいものと思うようになりました。

ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、なお でした。

あの、なんと言いましても、私としては、55年以上前の記憶ですので、勘違い、間違いもあると思います。指摘して頂けると嬉しいです。また、ある一つのことから、また別な、ある一つのことを思い出すこともあると思います。よろしくお願いします。

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この記事へのコメント

先日9月25日 浅野中学校 同窓会がありました
2010年10月04日 19:34
定山渓小金湯温泉で昭和40年卒業の
約30人位が集って懐かしい浅野の話をしました
今思い返しても 楽しいところでした

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