こんな日本の長寿社会を生き抜くために、何を為すべきか

なんか変ですよ日本の長寿、高齢化社会は、だってお年寄りの多くが行方不明になっているのだそうです。そして、子も孫も家族も、自分の身内でもある、お年寄りがどこにいったかわからないのだそうです。しかもですよ、彼らに長寿のお祝いを渡す、また、年金を支払う行政の側も長寿者の行方をつかんではいないのだそうです。
つれづれぶろぐには、人生を楽しくする事柄を意識して書いている訳なんですが、その方針がぐらつきかねないんですね。日本人の心のどこかが壊れてしまったとしか思えない状況が現実になっているのですからね。

東京都足立区で111歳のはずの男性が、白骨死体で見つかったのがきっかけだったんですが、全国で70名以上もの、100歳以上の高齢者、お年寄りが行方不明なんですって。こんな話しを聞いて、寒気がしました。ぞっとしましたね。びっくりしてしまいました。長寿国日本、それを証明し、支えるお年寄りたちは、実は行方不明だったのでした。恐ろしい国になったものです。親子の絆、家族の絆、人間の絆(これはサマセット・モームで少し違うかな)も無くなってしまったのですね。家族の方は、家を出ていったので、その後のことは分からないと言っているんだそうです。
あの寅さんでも、正月、お盆には帰ってきたでしょう。寅さんのご家族は、食事時には、いつも寅さんのことを話題にしていましたね。

もっとすごいと思ったのは、お年寄りがどうなっているかの質問に、なんと家族は回答拒否が出来るんですってね。あの個人情報保護法がそれを守っているんですって。こんなことになるんでしたら、個人情報保護法とセットで国民総背番号制度にしないといけなかったですね。な~んと、もうできているとの話しもありますね。お金をバラまくとか、消費税をある年収以下の方に返納する時には本当は必要ですからね。官僚側は準備中と言うことなんでしょうか。まあ、日本人が幸せになるように、真剣に考え、検討して、できあがったものを前もって、国民の側に示して下さい。

あの作家の城山三郎さんが、個人情報保護法に反対して政治家と対峙していたのを思い出しますね。あの時、見識のない政治家は、城山三郎はボケたと揶揄していました。前の政権党のお歴々でした。な~んと、その見識のない政治家が、家族の絆、親子の絆を持ち出して、こんなこと、お年寄りが行方不明のことです、があってはいけないと国民を諭しているんですって。この法律を作った官僚はこの有様をどのように思っているのでしょうか。まさか、それみたことか、なんて言っていないでしょうね。

行方不明の高齢者、といっても、父母または祖父母にあたる人の年金までを、勝手に(使っていいよと言われたかも知れませんが)おろして使っていた人も数多くいたのですって。でも、もし、そうなら、使うその時にも、ああ、父母、祖父母はどうしているだろうと思い至らなかったのですかね。勝手にお金を使ってしまって、彼ら、父母と祖父母のことです、は困らないだろうかとか、一応、一言(ひとこと)了解を得て、なんて思いもよらなかったのですかね。でも、行政の側もおかしいと思いますよ。個人情報保護法という法律の前には手がでないと言うことなんでしょうか。

それで先日、先週の金曜日です、横浜の行政、つまり区役所に年金の現況届けの承認をいただきにいってきました。住民登録したところに間違いなく住んでいるか、そして生きているか、区長の承認をもらわないと、年金支給が行われませんので、本人証明を持参してでかけました。この、区長さんの承認入り現況届けを提出すると、これで、あと1年、年金がもらえます。この年金、企業年金です、は自分の退職金の中から積み立てたものですから、大きな顔をして受給させてもらっております。75歳まで、一応、元本がありますので、支給は続くでしょう。企業との約束では、終身となっていますから、一応、生きている限りは頂けることになってます。そうはならないのではないかと企業の業績がいまいちなのを心配はしています。でも、75歳まで生きることができるが定かではありませんので、あと10年くらい経過したら、もう一度、心配するつもりでいます。
企業年金は自分の積み立てたお金であっても、これは民間の組織ですからこのようにきちんとやっているのでしょう。そういうことですから、個人的には企業年金は信頼していますよ。

でも、国民年金や厚生年金、共済年金なんて、国と行政がからむのだから、本人が生存しているか否かは、社会保険(健康保険、介護保険)、税金の支払い等から分からない理由はないと思うのですが、個人情報保護法を盾に分からないと言うことができるのだそうです。これは国と行政の怠慢でしょう。
お年寄りの身内をお持ちの家族の方は、たとえば一人暮らしのお年寄りの一挙手一投足からお年寄りの状況を知ろうとしますし、そのようなものが出来ています。電気、水、トイレの使用状況からも、それなりに、身内のお年寄りの元気な状況は分かりますね。電話でも、その気になれば、インターネット(監視されているようでお年寄りにはいやかも)でも使えれば、お年寄りの元気な状況はわかります。

つまり、知ろうとしない、知りたくない、もしかしたら、知って欲しくないという考え方があるのかもしれないですね。人間は一人で生きるものに有らず、の考え方が希薄になってきているのかな。つまり、人と人の絆(きずな)がだんだん無くなってきているのですね。寂しい限りです。

日本の長寿社会は現在、このような状況にあるのです。どうします、見識のない政治家ならびに官僚の皆さん。困った日本にしてくれましたね。日本をお手本に長寿社会、高齢化社会を目指す、アジア諸国、欧米諸国の物笑いの種にされているそうです。日本の政治が機能してないのが原因なのでしょう。というより、こんな政治家しか選べない国民が悪いのだそうですよ。政治家のレベルは国民のレベルを超えることはできませんからね。私は、こう言われると、反省してしまいますけど。本当かな。

そういう日本ではありますが、実際の当事者、もし彼ら、高齢者を行方不明のままで放っている方が事件を起こしているなら別ですよ、を非難するのはやめて、我々、団塊の世代の高齢化社会のことを考えてみたいと思います。

私が思うに、私も含め、団塊の世代もまもなく入るであろう高齢化社会に必須なものは、「共生(きょうせい)の思想」であろうと思います。共生、私、ふらぬいがよく使う言葉です。色々な本、資料を読んで、共生にはまってはいます。それで、「共生の思想」です。どこかの資料で読んで、全貌はいまとなってはうろ覚えなのですが、「共生の思想」を少し整理してみますね。

ある資料で触れていたのですが、(高齢者全体に関連すると思いますが、団塊の世代を前に付けます)
団塊の世代が高齢化すると、<健康不安>、<所得不安>、<関係性不安>から、「孤立化する高齢者の増加」、「精神障害の増加」、「自殺率の増加」の恐れがあるのだそうです。これらの不安解消が幸福な高齢期を迎える上で重要になるのだそうです。

団塊の世代がというか、高齢者が最も顕著に対応を考えなければいけないのは、そのうちでも、<関係性不安>なのだそうです。<健康不安>と<所得不安>は高齢者の不安を全面的に解消するには至っているかは別として、医療制度改革、介護保険制度、公的年金制度改革など対応する社会的枠組みは見られるが、<関係性不安>に対応する社会の仕組みは十分とは言えないからなのだそうです。<関係性不安>が顕在化して孤立化する高齢者には、社会福祉協議会や民生委員、ボランティアの諸活動、諸施策が講じられるが、事後的で個別的であるのでありまして、むしろ<関係性不安>そのものを生じさせない環境づくりが大事なのだそうなのです。その通りと受け取っていいのか、ちょっと疑いたくもなりますが、多分、大筋では合っているのかな、という気にもなりますね。

そのために、団塊の世代が高齢化する、これからの高齢化社会においては、「共生の思想」が重要になってくるのだそうです。私は、自称、共生ブロガーでもありますし、共生に関しても、ブログを何本か書いてきましたから、かなり勇気づけられておりますね。でも、私の共生は、”共生と循環”がベースでしたので、こういう考えもあるのかな、と少し身を引いて書いていますからね。

まず、共生とは、からいきます。黒川紀章が「共生の思想」を1987年に出版しました。そのころから、識者がそれぞれの言葉で共生を論じています。たとえば、三重野卓は「共生とは、第一に異質なもの、多様なものが、それぞれの差違にもかかわらず、共に有り、共に存在し、生きることを表している。そして、第二に、他者を受容し、時には葛藤し、時には協働することを意味する」、と述べています。なんとなく分かる気がします。大橋慶子は「共生とは共に所を同じくして生活すること、すべての人間が共に互いに物心両面で支え合いながら、相互に尊重しあう隣人として交流しながら生きている」こととしている。なんとなく、理解できるのですが、あまりに大上段に構えていないか、と気になります。

内閣府も共生社会について示していますね。それは、以下の①~⑤なのです。

①各人が、しっかりした自分を持ちながら、帰属意識を持ちうる社会
②各人が、異質で多様な他者を、互いに理解し、認め合い、受け入れる社会
③年齢、障害の有無、性別などの属性だけで排除や別扱いされない社会
④支え、支えられながら、すべての人が様々な形で参加・貢献する社会
⑤多様なつながりと、様々な接触機会が豊富に見られる社会

①~⑤、共生社会の定義として、まともなことを提案、提示していますね。内閣府はそれ以降、国民に積極的に提示して、共生社会への取り組みのなんたらを示したのでしたか、その動きが気になりますね。もしかしたら、私が、見逃したのかもしれません。でも、この内容ですが、有識者に検討させ、まとめさせたのでしょうか。あまり話題になったとは思えませんね。あの、私は反省してますからね。

それで、上記の5つの視点すべてが実現すれば団塊の世代の高齢者にとって、過ごしやすく、精神的な豊かさを感じることの出来る社会になるものと思われるのです。しかし、このような共生社会を実現することは容易ではないように思いますね。

我々、団塊の世代は、異世代の人間や自らの所属する地域と関係をもつことって少なかったのですね。企業戦士でしたからね。おのおのの戦場で振り向くこともせずに戦っていた方が多かったと思います。それで、退職後、これから地域との関係をもって帰属意識を抱いたり、地域における自分の役割を認識し、地域の他者との関係を豊かにすることを通じて、<関係性不安>を解消することが必要になってくるのだそうです。それが地域との共生なのだそうです。

地域との共生を構築するためには、以下に述べるシステム、考え方の確立が重要であるんですね。つまり、国または行政にすべてをまかせることは、これからの高齢化社会には向いていないのだそうです。つまり、団塊の高齢者は、またまたこれらの地域共生システム構築に向け、もう一度、戦いを挑むかたちになるのだそうですよ。ちょっと言い過ぎかも知れませんがね。ただ単に地域と共生するこころみを自主的、意識的にやっていく必要がありそうです。
つまり、
(1)NPO等の活動を軸にした地域共生システム
(2)自治会等の活動を軸にした地域共生システム
(3)団塊高齢者が主体となる地域共生
(4)団塊高齢者が地域共生システムの主体になる意識付け
なんでこのような項目が出てくるのか分からないという方、次の文章で、一気にまとめますから我慢して下さい。

その中で、団塊高齢者が”地域共生、統治の主体になる役割を担う”ことが重要なのです。

共生社会の実現に向けては、「ものの豊かさ追求」が「経済重視の社会づくり」になっていた。経済発展は国民の豊かさを実現する手段であって、目的ではない。それは、豊かさを補完するものであって、「もの」と「こころ」のバランスのとれて初めて、真の豊かさを実感できる社会になるのです。

今日の日本の社会に閉塞感がただよっているのは、人口減少や超高齢社会の到来が原因ではないのですね。「真に豊かな国・日本」の目指すべき社会の姿が描けないことであるのだそうです。

超高齢化社会となるこれからの社会に於いて「共生社会」と「社会づくり、地域づくりの主体としての高齢者」というキーワードを軸にこれからの社会の姿を明確に打ち出していくことにより、国、企業、行政、国民が活動の目標を共有化でき、豊かな社会を生み出していけるのではないかと思います。

その点で、まもなく高齢者になる団塊世代の方々の、活躍と期待は大きく膨らむのであります。

なんか、お年寄り、長寿者がひどいめにあっているので、これから高齢者になる団塊の世代よこころして地域共生に励むこと、なんている応援ブログになってしまいました。書き出しとまたまた違ってしまいました。失礼しました。

私、ふらぬいは現在、地域自治会活動、ふるさと会活動、同窓会・同期会の活動を意識的にやってはおりますが、個人的には、地域共生意識はまだ足りないところがあります。しかしながら、まもなく、団塊の世代が入ります高齢化社会で、それなりに存在感を示すとしたら、やはり、私どもが主体となって地域共生の役割を担うこととの必要性を、遅蒔きながら感じております。長寿社会を迎え、その一員に迎えられても、しっかりと存在感を示して行ければと思います。

現在の高齢者、長寿者の皆さん、皆さんがあって、今の日本が有るのです。地域社会で存在感を示し、自己主張することは必ずや次の世代に貢献するものと考えます。勝手に出ていったと、身内の後輩から言われることなく、遠慮せず、自己主張しましょう。口うるさい、高齢者、長寿者になりましょう。経験豊富な一言は地域共生に役立ちます。団塊の世代も皆さんに続きますよ。

こんな日本の長寿社会を生き抜くために、何を為すべきかブログでした。

かなり、しつこく、かつ、分かりにくいブログになりました。失礼しました。

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