もういちど読む山川世界史をやっと読み終えました

「もういちど読む山川世界史」をやっと読み終えました。以前、”もういちど読む山川日本史をもういちど読みました”ぶろぐの中で、「もういちど読む山川世界史」を読み始めました、と書きました。世界史ばかりでなく、あれも読まなくては、これも読まなくては、などど目移りしているうちに、随分時間が経過してしまいました。

まえのぶろぐに書きましたが、世界史に関連する知識の少なさ、さらに世界の小説をあまり読んでいる訳でもなく、うまくまとめることが出来るかどうか心配な面もありますが、勇気を出して書き始めます。

「もういちど読む山川世界史」の表紙ですがお見せしましょうね。税込み1575円でした。

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高校時代の世界史の教科書は、もちろん山川出版でしたよ。私は高校2年の時に世界史を学びました。興味深く勉強に励みました。通学の電車の中で、山川世界史の理解を深めました。それで、中間、期末の試験に向けてガリ勉した記憶はあまりありません。今回、この本を読んで気になったのは、「もいちど読む山川日本史」の時もそうでしたが、「もいちど読む山川世界史」に肖像画が本当に少なくなったように感じました。「もいちど読む山川日本史」に肖像が出ると、今では、伝聖徳太子、伝源頼朝のように伝が付いて出てくるわけですよ。さらに、昔は足利尊氏と習った(?)と考えていた肖像が騎馬武者等になっていました。高校時代には肖像画を手がかりに内容を憶えたものですからね。何頁の誰さんの肖像が出てくるところの記述は記憶しやすいのでした。今回の「もいちど読む山川世界史」の教科書も肖像が少なく、記憶の手がかりになるものがかなり少ないのです。地図とか国の領土とか、発見、探検の航路はあまり記憶の補完にはなりませんからね。歴史上の人物、昔はもちろん写真はありませんので、肖像画でよい訳なんですけどね。正式に本人であるとの確証が無ければ、歴史教科書には肖像を掲載しなくなったのでしょうか。やはり、肖像は印象に残りますし、記憶の補助になり、その人物に興味も沸くと思いますね。社会人にはどうせ知っているのだから肖像は掲載の必要がないとして、載せていないので有れば、それはそれでよいのです。高校生には、シーザー、クレオパトラはこんな顔の人。始皇帝、孔子、チンギス・ハン、ナポレオンはこんな人のイメージがつかめれば、歴史への興味も沸いてきますよ。人物紹介で別出しにしてはありましたがね。昔もこのようだったか自信はありません。

歴史は勝利した側が、勝手に創り出すのは確かなようです。今では私はこの世界史も批判的な眼でもって眺めることができます。高校時代は批判的な眼などありませんので、そうかそうだったのかで歴史的事実(勝者の言い伝えであると思う)を、ただ漫然と頭の中に詰め込んでいったと思います。もちろんそうしなければ中間試験、期末試験も良い成績が残せないのですから。今回の「もういちど読む山川世界史」はずっと私の批判の眼にさらされた教科書、書物でした。それは一方的な見方であり、立場が変われば真実も変わるでしょう。どこかのぶろぐで書きましたが、戦いに勝つしっかりした理由は無いが、戦いに負ける理由は必ずあるということです。それが歴史なんです。歴史から学ぶのは、何故負けたかなんですね。でも、勝った理由、負けた理由が分かっても、次にそのことをきちんとおさらいしても勝つ理由にはならないことなんですね。但し、負ける理由の一つは排除できるわけなんです。だからこそ、歴史に学べと言われる所以なのです。このことから盛者必衰のことわりがでてくるのですよ。日本国が戦後、大きく発展しながら、現在の失われた20年、そして30年はそんな話しなんですよ。手をこまぬく日本、なにもしない日本、価値を生み出さない政治家、官僚、国家公務員が、数十年前の成功体験にしがみついているからなのです。それで政権交代が必要なのに、政権交代しても、中身が前のまんまだと、やはり、日本の失われた30年、借金1000兆円で国家破綻、家庭崩壊が現実のものなってくるのです。

話しがあまりに飛躍してしまいました。元に戻します。

高校時代、日本史は日本の歴史、世界史はヨーロッパ(世界ではない)の歴史を学ぶ学問と思っていました。まず、文明の起源につづき、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の4大文明、古代の世界の話しが出てきます。そこから世界史は始まります。私の頭で世界の始まり、世界史の始まりは4大文明ですよ。ここからつれづれ世界史しますからね。

1.古代の世界、4大文明について
高校時代は書かれたことを純粋に記憶するのが歴史を学ぶことだったのですね。ですから、エジプト文明はナイル川にピラミッド、スフインクス。メソポタミア文明はチグリス、ユーフラテス川とハムラビ法典。インダス文明はインダス川にモヘンジョダロ、ハラッパ遺跡。黄河文明は黄河流域に殷の遺跡と甲骨文字。なぜか今でもこのように思い出します。つまり、このパターンで憶えていたのですね。
そして、エジプト文明とメソポタミア文明は古代ギリシャのアテネとスパルタ、ヘレニズム文明そして古代ローマ文明に繋がるのです。頭の中はバラバラでしたが、なんとかつながりました。
インダス文明がバラモン教、仏教、ヒンズー教の思想を将来的に生み出していく力の根元というのは興味を持ちましたね。
黄河文明については、その後、どのようになっていくかの歴史は、個人的に理解し、頭に描ける状況になっていたので、一気に読み進めました。中国の歴史は文字があったがゆえ、太史令司馬遷のように歴史を記述する歴史家、役職があって、史記他で、後世に歴史が伝えられていたのは、すばらしいことであったと思いました。

2.古代ローマ帝国について
興味をもって読んだのは、まづ、ローマ帝国の成り立ちから、その後です。あのフォロロマーノはいかにして建設されたのか、そして何故ローマではあんなにも遺跡が残ってしまったのかでした。
西ローマ帝国がゲルマン民族の大移動の最中に滅亡したこと。一方、東ローマ帝国はその後、約1000年継続したことは頭の中にはありました。ローマに出張で出かけ、あのフォロロマーノの遺跡に遭遇したときには、古代ローマが隆盛時、これらのすごい建造物ができたのであろう。しかしながら、これらの壮大な建造物を誰が何故破壊したのか、また何故破壊されたまま残ったのか不思議に思っていました。西ゴート族、ヴァンダル族、東ゴート族に徹底的に破壊されたのでしたね。西ローマ帝国が滅んだのは476年でしたね。そのあとずっとフォロロマーノは破壊されたままになっていて、歴史的建造物を構成する遺跡は新しい建物を建設する材料に使われたのでした。それで、その後、廃墟になっていて、掘り起こしを始めたのが、ナポレオンがローマを支配していた時代で、19世紀初め、発掘が完了したのが1902年頃なのです。面白いことに、フォロロマーノの建物の一部は残っていて、さらのその一部は公共の建物として今でも使っている。イタリアという国は本当に面白い国との認識をもちましたね。
高校時代の世界史では、ゲルマン民族の大移動が大きくページを割いていたように思いましたが、こんどの「もいちど読む山川世界史」ではたいした扱いではなかった。西ゴート、東ゴートもほんの少し記述があるだけでした。なんか歴史的な評価が変わったのかなとも思いました。

3.世界の4聖人について
皆さんは、世界の4聖人で分かりますよね。①孔子、②ソクラテス、③釈迦(ガウタマ・シッダールタ)、④イエス・キリストですね。あの、②のソクラテスの代わりに、⑤マホメットを挙げる人もおりますね。彼はイスラム教の創始者ですね。孔子は儒教の創始者、プラトンは哲学の創始者?、釈迦は仏教の創始者、イエス・キリストはキリスト教の創始者ですね。①~③は紀元前5世紀頃、④は1世紀頃、⑤は7世紀頃活躍されているんですね。①~⑤の皆さんは宗教的、思想的に立派な方で、歴史に名を残している訳なんです。この4聖人、5聖人でも良いのですが、不思議なことに、彼らはご自分で書かれた本を残してはいないんですね。聖人は自分で一生懸命本を書いてはいけないんですよ。偉いさんはみんな周りの者、弟子が本を書いて、聖人、偉人にしてくれるんですよ。あの、これは「もいちど読む山川世界史」には書かれていませんからね。
①孔子の論語は弟子が書いたものですね。”子曰く”で始まりますからね。井上靖著の「孔子」もそのような内容でした。②ソクラテスのことは弟子のプラトンが書いたのでしたね。大学時代に必読書で読まされた、「ソクラテスの弁明」はプラトンが書いたものでしょう。③釈迦(ガウタマ・シッダールタ)も書物は残していません。その代わり、10人の弟子、彼らばかりでなく、さらにその弟子・・、が膨大な仏教書を書きました。④イエス・キリストが聖書を書いた訳ではありませんね。弟子のペテロ、パウロらが聖書にまとめていたのでした。さらに、イスラム教の創始者、⑤マホメットのコーランもそうですね。彼の死後、弟子たちが彼の啓示をまとめて編集して、コーランとしたものですからね。
何を言いたいかですね。偉人、偉いさんは、あまり書いたものを残さないんですね。少しでも間違ったものが書物、文書、確証として残ってしまうのを嫌がったのですね。面白いでしょう。皆さんの周りまた会社の中にもこんな上司、先輩がいませんでしたか。私には、どうかな、いたような、いなかったような。私はたくさん確証を残して、だめでしたが・・・・。会議の議事録を残すな、というお客さんもたくさんおりましたね。どうでしょうか、歴史って役に立つと思いますでしょう。

4.モンゴル帝国について
その次には、モンゴル帝国がどのように記述されているかです。チンギス・ハンの評価も今では非常に大きなものになっているはずです。こちらは小説で得た知識と、歴史に記載の事柄とはどうか、またその帝国の行く末はどうなのかも興味がありました。昔の山川世界史はあまり記述が無かったように思いましたが、今度の「もいちど読む山川世界史」ではしっかりと記述されていましたね。
「もいちど読む山川世界史」を読んで、チンギス・ハンの評価が非常に大きくなったのでは、との感じがしました。どれだけ領土を広げたかというより、その後の世界史にどれだけ影響を与えたかの記述がしっかり書かれていました。高校時代の世界史の教科書では、あまりそんな感じはしていませんでした。私も昔、源義経チンギス・ハン説が頭の中にあって注目しながら勉強した記憶があります。もちろんそんなことは書かれていないし、ただ、アジアからヨーロッパに亘る大きな帝国を築いたの内容だったように思いますね。当時、私の高校時代です、ソ連がモンゴルを支配して、被害者意識からチンギス・ハンを歴史的偉人との考えをモンゴル国民に知らしめなかったのが原因だと、自分勝手に理解をしています。モンゴルでどうしてロシア文字が使われているか不思議に思ったものでしたよ。
社会人になって、中国の歴史、モンゴルの歴史、チンギス・ハンを理解するにつけても、本当に世界の歴史の一時期にあれだけ大きな帝国を短期間に築き、その後の歴史にも大きな影響を与えた、その有様が昔の教科書と違って、しっかりと記述、記載されていました。ただ、どうやって広げていったかは、私の方が詳しいなんて、自己満足に浸りました。日本史で、モンゴルと元は元寇で出てきますけどね。

5.ヨーロッパ世界の膨張について
さらに、西欧諸国がアメリカ大陸を植民地にしていった経緯と、侵略を受けたアメリカ諸国はどのように抵抗して、その後どうなったのかでした。同じことがアフリカの各国にも言えます。記述には興味がありましたね。
西欧諸国が南アメリカ、アフリカを陵辱、略奪する様は昔の教科書ほど詳細に書かれていなかったように思いますね。アフリカの奴隷貿易は西欧諸国が現地のアフリカの首長が貿易のために差し出した奴隷を、北米、中米、南米向けに売り込んだのでしたね。昔の教科書はしっかりと、西欧人はこんな(悪い)ことを行い、今でも行っている。その最たるものが、人種差別政策、人種隔離政策でもある、みたいなことを書いていたが、今度の「もいちど読む山川世界史」には、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)はありましたが、白豪主義(オーストラリアの人種差別)はほとんど何も記載がないのは不思議に思いましたね。アメリカの南北戦争も扱いが小さかったような感じがしました。
アフリカ、中南米関連記述があいかわらず少ないのは、世界史に影響を与える機会がそんなに多くなかったということを暗示しているのですね。興味ある読者は個別の歴史書に頼ることになるのです。西欧先進国を含む争乱にでも巻き込まれないと世界の歴史には残らないのかも知れません。

6.アジアの植民地化について
もう一つは現代のアジアと日本です。それなりに自分の眼で観てきた、アジア各国、日本はどのように世界史で記述されているのか興味は尽きませんでした。自分が生きてきた中で、物心ついた1960年以降の歴史は自分史の一部にもなっているので、それが世界史に記述されているのは非常に興味深い思いがしました。ただ、第二次世界大戦後はどこが悪いとの決めつけが無くなっているように思いましたね。
日本とかタイ国みたいに西欧の植民地にならなかった国は、自国の歴史をきちんと学べるのだが、不幸にも他国の植民地になった国の歴史はどのように教えられるのか興味深いと思いますね。
中国人は中国の歴史は漢族の歴史と理解しているようで、だから、金、元、清を認めたくないとの考えはそれなりに理解は出来る。しかしながら、チベット族、ウィグル族、モンゴル族といった自治区の民にはどのように歴史を教えるかですね。どこか、これからの異変を予言出来そうにも思いますね。

7.マルコポーロの東方見聞録と円仁について
私どもも当たり前だのことで知っている、マルコポーロの「東方見聞録」ですが、つい最近、遣唐使円仁(えんにん)の足跡が中国で発見され話題になっています。マルコポーロは13、4世紀の人ですが、円仁は9世紀に最後の遣唐使として中国に渡り、日本に帰国後、中国での人々の暮らしや信仰の姿を伝える詳細な記録「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」を残し、比叡山を日本仏教の母山へと発展させた天台僧、慈覚大師円仁(えんにん)(794~864)です。その名を刻んだ石板が中国河南省登封市の法王寺で見つかった。苦難を乗り越え民衆の仏教をもたらした高僧の姿が、千年以上の時を超え浮かび上がってきた、と新聞に書かれていました。さらに、
円仁研究でも知られ、駐日大使も務めたライシャワー博士はかつてこう指摘したのだそうです。”日本仏教の宗教的母胎として多くの祖師たちが巣立った延暦寺の僧院は、最澄によって創(はじ)められたものではあるけれども、実に円仁によって発展したものなのである”
さらに、巡礼行記の価値は「大唐西域記」「東方見聞録」よりも高いと評価し、”マルコポーロの名声は世界中にとどろいているが、円仁の名前は、故国日本でさえも、学者の間に知られているにすぎない」と嘆き、円仁を「世界史的な偉人」と紹介した”。
それから半世紀余、存在感が大きくは変わっていない円仁を見直すよい機会かもしれない。空前の旅行を成し遂げた作家、日本仏教の基礎を築いた宗教家、そして国際交流の達人として、とエールを送られています。

歴史上の偉人の評価について、このように、再度、評価依頼のためのスポットライトが当たることに、本人はどのように思っているかを推測するのも楽しいものです。まだ評価が定まっていないか、現実に生存している歴史人物、将来的に歴史的偉人と見直される偉人も居ると言うことかも知れない。それが歴史なんですね。

20世紀から21世紀の出来事の中で、自分史の一頁に、もう世界史になってしまっている事柄があるというのも本当に興味有るところですね。たとえば、
2001年9月11日、アメリカ、ニューヨークとワシントンのビルに航空機が突入した、いわゆる「同時多発テロ」からアメリカがアフガニスタン、イラクに軍事介入していったことも歴史的事柄になっている。貿易センタービルに航空機が突入するシーンをTV生中継で観ていたのを思い出します。あの時はヨーロッパ出張から戻って来て、自宅でくつろいでいたのですが、フランスで一緒だったアメリカの友人に早速お見舞いのメール送付したのを思い出しますね。

あの、世界史について書いていますが、つれづれぶろぐで書いていますからね。歴史的に新しいこと、学問的に意味のあることは期待されても無理ですからね。期待していないですって? そうですか、それなら良かった。
これは歴史的事実に照らし合わせて云々などされますと、ふらぬいの世界史知識の浅さ加減がもろに出てきますからね。そこんところよろしくお願いしますね。

もういちど読む山川世界史をやっと読み終えました、ブログでした。

最後まで読んで頂いた方、本当に長くて申し訳けありませんでした。
こんなに長くするつもりもなかったのですが、忸怩たるものがあります。

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