旅の想い出その21 中国 北京の頤和園、雍和宮、孔子廟

今回の旅の想い出は、中国、北京の頤和園(いわえん)、雍和宮(ようわきゅう)、孔子廟(こうしびょう)散歩です。

中国、北京にも仕事で出掛けました。観光で出掛けたことはありません。何回か訪問していて、歴史遺産の多さ、建造物の大きさには驚かされます。私は中国4000年の歴史にはそれなりに興味をもっておりました。歴史書ならびに歴史文学にも目を通してきました。中国を支配した帝国の栄枯盛衰、それに伴う、社会、経済、文化並びに中国人民の生活等にも興味を抱いていました。それで、どこかのぶろぐでも書きましたが、司馬遷の史記、三国志、十八史略、中国近代史、現代史、またモンゴル帝国の歴史にいたるものまで、興味を持って読んできました。さらに、シルクロード関連書物にも一時期、心を奪われたこともありました。それだけ、中国の歴史は人を惹きつけるものがありました。

昨今、中国、北京にやってきて、驚くのはビジネス街の大きな変貌です。もちろん、この大国の首都機能を有する大都会ですから、当たり前なのですが、この大都会にも、中国4000年の歴史を感ずる歴史遺産が、そこかしこにありました。仕事を行う上では、新しい近代的な建物が建ち並ぶ、ビジネス街に圧倒されつつも、この土地の上で、あの4000年の歴史が展開されたとの感慨が頭から離れませんでした。ビジネス街から、あまり遠くはないところある故宮、天安門、天壇公園等観光スポットにも出かけました。胡同、王府井、西単、東単等の街角散歩も楽しみました。さらに、北京観光には避けて通れない、万里の長城(八達嶺)の歴史遺産をみてきました。その時々に自分の頭の中にある、中国の歴史、事件が、頭の中に浮かんできました。なんの脈絡もありませんでしたが、この地を、中国の歴史に出てくる誰々が通ったかもしれない。そんな場所に今、このように立っている。なんか幸せで、不思議な時間でした。

たまたま、この時期に訪れた北京市内は北京オリンピックの開催前で、どの方向を見ても、建設工事中または取り壊し工事中、さらに、道路、地下、地中の掘り返し工事がどうしても目に入ります。北京は大きな町ですので、1回で紹介し切れるものではありません。今回の旅の想い出では、どうしても自分が行ってみたかった場所を取り上げてみました。北京ゆっくり散歩にはならないのですが、自分が好きな場所を、好きなように写真に撮ってきて、悦に入っているものです。自分なりに、好きに撮ってきた写真ですので、主観が随分はいります。自分だけが、中国的に雰囲気があって、良い感じ、と思ったりしています。それで、ストーリー性にかけているところもあるのはご容赦下さい。

北京のことを少し書きますね。中国の歴史を学んだ人は、長安、西安、洛陽、開封は分かるんだけれど、北京は元の時代になって急に歴史の舞台にでてくるんだよな、と思った方は多いのではないかと思いますね。実は宋の時代、12世紀頃です、金が中国の北半分を支配し、宋を南に追いやった時期がありましたね。その時に金は燕京、今の北京ですね、に遷都して、中都と称されたのでした。その後、元のクビライ・カンが金、宋を滅ぼし燕京にやってきたのです。彼は中都を大都に改めます。その後、14世紀になって明が大都を陥落させ、元はモンゴル高原に退きます。明は大都を北平と改めます。15世紀になって、明の永楽帝が北平を北京と改め、北京に遷都したのでした。永楽帝は紫禁城(故宮)も建設しています。17世紀中頃、清が明を滅ぼします。清は北京を首都と定めます。清は乾隆帝の時代に栄華を極め、ラストエンペラー、宣統帝(溥儀)まで続きます。ラストエンペラーの映画については、前に私のぶろぐ紹介しました。えっ、世界史を学んだことがあれば、こんなこと、北京のおいたちです、知っているって、おっしゃるのですか? そうですか、これは失礼しました。

では、中国、北京の頤和園、雍和宮、孔子廟散歩、始めます。

1.頤和園(いわえん)散歩

この頤和園は北京郊外にあり、もともと、12世紀、金の時代に造園された離宮です。それを清の乾隆帝が整備し、歴代皇帝の離宮として使われていました。アヘン戦争など度重なる戦火の被害を受けたのですが、清の西太后が現在のかたちに修復、復興し、現在に至っているとのことです。万寿(まんじゅ)山と昆明(こんめい)湖からなる山水の名園です。1998年、世界遺産に登録されたものです。

それで、北京の郊外にある世界遺産、頤和園です。この庭園には、東宮門側から入場しました。

頤和園付近の地図です。Google Mapです。Googleは中国から撤退しましたが、この地図は北京と頤和園の位置関係を確認するためにお使い下さい。
http://ditu.google.com/maps?key=ABQIAAAAzbphDyGKwzcC683-l3TiiRRW41z59if54br_GM7f12GO-YnlyhQZzFCr49jhEgTW9KjEer9BtOORIQ&mapclient=jsapi&ie=UTF8&ll=39.997375,116.275177&spn=0.040635,0.094414&z=13&brcurrent=3,0x35f056653dc02e49:0xfa318e39bb191f35,1,0x35f05137c865ad63:0xd348af83c67dc389%3B5,0,1
詳細の地図は無理なようです。ストリートビューも使えません。

参考用に頤和園紹介ホームページをおつけします。訪問時より、撮影時が古いですが、便利です。
http://www.mapbinder.com/Map/World/China/Beijing/Iwaen/Iwaen.html

仁寿(にんじゅ)門を入って、仁寿殿を通り抜けると、昆明湖が目に入ります。ちょっとそちらばかりに気が行ってしまいました。実は、仁寿殿の左手には、あの邪律楚材(ヤリツソザイ)の祠(ホコラ)があったのでした。あのジンギスカン、モンゴル帝国を支えた天才宰相です。ここに祀られていたのでした。この人は、もともと金の国の人で、清と同じ、満州族の祖先にあたる女真族の出身ですね。それを、ジンギスカンに認められて、モンゴル国を支える天才宰相になったのでした。ここにどうして祀られているのかは分かりません。ちょっと拝見してみたかったと思いました。陳舜臣の「邪律楚材」は読んでいましたからね。あの、金なんて国があったのか?、との質問ですか。宋の時代後半、12世紀頃、金が燕京(今の北京)を首都に帝国を樹立したのです。宋が南宋と言われ、南に避難していた時代です。歴史的には中国は宋の時代でした。まもなく、金も南宋も元に滅ぼされましたがね。北京での説明を繰り返してしまいましたね。

ここを観光にきた当時の私は、そんなこと、邪律楚材のことです、頭になく、すっかり観光客になりきっています。仁寿殿、徳和(とくわ)殿、玉瀾(ぎょくらん)堂等、立派な建物の傍らを抜け、有名な長廊(ちょうろう)を目指します。遠くにかすんで見えるのは、南湖(なんこ)島です。
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左、頤和園を象徴する長い廊下です。廊下の内側は装飾美術の粋が施されておりました。人の通行を妨げないように写真を撮ってもらいました。何故この写真が撮れたかはあとで分かります。
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長廊のはるか遠くに仏香(ぶっこう)閣が見えます。
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私は当時、中国語が全然分かりませんでしたので、今回は若い女性のガイドさんがついていました。仕事仲間ですよ。彼女は日本語の勉強のため、中国語が出来ない私をガイドすることになったのです。
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仏香閣にはこの門から入ります。というより登ります。排雲(はいうん)門です。この前は大きな門構えの牌楼(はいろう)がありました。ここは昆明湖に突き出た広場になっていました。
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拝雲殿を抜け、仏香閣に登ってきました。
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大きな、立派な建造物を通り抜けます。
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仏香閣から清晏舫(石舫)(せいうんぼう(せきぼう))方向を臨みます。こちらはレストランを兼ねた建物とのことらしいのですが、正確には建物の名前はわかりませんでした。
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石舫です。水が流れても動かない石の船は皇帝の権力の象徴なのだそうです。日本人には分かりかねますが。
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船で不老長寿の仙人が住むと言われる島の一つ、南湖島に渡ります。この島は17孔橋で地続きになっています。船の中から仏香閣を遠くに臨みます。
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17孔橋の袂に銅牛(どうぎゅう)が鎮座しておりました。鉄の牛が水害を防止するという故事にちなんで鋳造されたのだそうです。牛の背中にその故事が書かれているそうですが、そこまで気がまわりませんでした。
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頤和園は本当は時間をたっぷりとって出掛けるところだと思いました。時の経過を忘れることが出来ます。もし、頤和園の故事が頭に入っていて、この世界遺産を訪ねると、また違った印象、感慨を持ったと思います。今回はあまり観光客が多くは無かったのですが、いつもはこんなに自由に早足で歩けるところではありません、とは、通訳をされた、女性ガイドのコメントでした。

2.雍和宮(ようわきゅう)散歩

つぎは、雍和宮です。ここは北京最大のチベット仏教、ラマ教の寺院です。かっては清朝皇帝の邸宅から華麗荘厳なチベット仏教寺院の廟に変身していったものだそうです。清の時代の他の寺院、廟と同様に苦難の時代を経て、漢族やチベット族の僧により昔の姿に見事によみがえっているとのこと。大きさは頤和園にはかなうべくもありませんが、広さ、建物の大きさ、規模といい、昔日の華麗な雰囲気の感じられる寺院でした。
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大門(牌楼)を通り抜け寺院の中に入ると、本殿まで参道が伸びています。両側にこのような並木、庭園が続きます。
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昭泰(しょうたい)門、天王殿、雍和宮、萬福(まんぷく)閣と建物が続きます。
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天王殿の中に雍和宮がありました。雍和宮の前でお見苦しい姿をお見せしてしまいました。失礼。さらに建物は続きます。
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雍和宮の一番奥に萬福閣がありました。この萬福閣の中に全長26M、地下8Mの地に据えられた白檀香木一本彫りの仏像がありました。
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仏像をお見せすることもせず、むさ苦しい写真ばかりお見せしてしまい、申し訳ない気持ちです。

この雍和宮寺院のまわりも、お化粧直しの真っ最中でした。少し綺麗な写真を貼り付けます。
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今では、この通りは、随分綺麗になっていると思いますよ。

この雍和宮は、地下鉄雍和宮駅を出てすぐですので、非常にわかりやすい場所にありました。後付で申し訳ないですが、Google Mapです。
http://ditu.google.com/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%E9%9B%8D%E5%92%8C%E5%AE%AB&sll=39.948306,116.417688&sspn=0.040664,0.094414&brcurrent=3,0x35f05347d86a3c41:0x126584cca224c65c,0,0x35f053337198022f:0xe089829dec4936f0%3B5,0,0&ie=UTF8&hq=%E9%9B%8D%E5%92%8C%E5%AE%AB&hnear=&ll=39.948306,116.38504&spn=0.040664,0.159817&z=13
雍和宮散歩、それと、次に紹介する孔子廟散歩には使えます。ストリートビューは残念ながら使えません。

3.孔子廟(こうしびょう)散歩

雍和宮のすぐ近くに孔子廟がありました。ここの孔子廟は元代に創建されました。その後、元、明、清の3王朝にわたり孔子を祀り続けてきたのだそうです。孔子廟は中国各地にありますが、この北京の孔子廟は孔子の故郷、曲阜(きょくふ)にある廟に次ぐ規模と大きさだそうです。

大成門から入ります。孔子様がおられました。この廟には孔子様とお弟子さんが祀られているのだそうです。
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大成殿の前の庭では、中国の将来を担う子供達が先生に連れられてきていました。孔子様の教えを学んでいるのでしょうか。どうもそのようには見えませんが。
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少し気になる被写体もあったのですが、廟という荘厳な感じはしませんでした。孔子様はもう、中国人の心の中に居られるのでしょう。
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この孔子廟の周りは昔の北京の面影がまだ残っていました。少し紹介しますね。
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今でも、このような北京の古い佇まいが残っているかは自信ありませんが、雰囲気の感じられる通りでした。

元、明、清の3代の皇帝の下で政治をつかさどる高級官僚につくための学科試験である科挙の試験場にしてエリートが集う最高学府でもあった、国子監(こくしかん)も近くにありましたね。行きませんでしたが。

これらの歴史遺産を訪れたのは北京オリンピックの少し前の年です。いずこも、土地の掘り起こしと市街地整備の真っ最中でした。ですから、これら庭園の中、寺院、廟の中は別世界でした。しかしながら、北京の町を覆う空気はほとんどが写真に写ったように、どんよりしていました。写真の写りが悪いのもありますが、撮った通りの光景でした。風が吹いて、雨が降り、大気中にあるものを取り除いてくれると、北京には青空が現れるとのことでした。私の北京滞在中には青空にお目にかかる機会はありませんでした。

でも、やはり4000年の歴史を持つ中国です。これらの歴史遺産は中国を訪れる旅人には、何かを考えさせてくれるのではないかと思います。私は、中国の清の時代にすごく思い入れがあるのです。中国歴史遺産をこれだけたくさん残してくれていることも、肩入れする一つの理由です。それに引き替え、欧州各国はずいぶんと中国歴史遺産への破壊活動、中国人民に対して過酷で惨いことをしましたね。中国の歴史遺産がイギリス、フランスの博物館に展示されているのを私も随分見てきました。中国本土から、もって(盗って?)いかれたのですね。大事に保管し展示してくれているのは感謝しますが、どうかねえ、なんて思ってしまいます。日本が中国に対してしたことは、すみません、置いておきますからね。

中国国家の支配状況を考えてみますと、宋の時代は漢族、金の時代は女真族、元の時代はモンゴル族、明代は漢族、清代は満州(女真系)族、中華民国、中華人民共和国は漢族が支配しているのです。これらの民族がある時期、中国を支配したのですね。中国の友人に、中国のどの時代が好きかと質問すると、出身民族によっても分かれます。さらに面白いのは、中国4000年の歴史の中で、一字の名字を表す国が中国のどこかに出来ているんですね。調べてみると本当に面白いですよ。つれづれぶろぐしたくなりますよ。

NHK-TVで現在放映中の”テレビで中国語”では、北京まちかど散歩を見せてくれています。北京オリンピック後に見違えるように美しくなった北京の街角を紹介してくれています。興味のある方は、チャンネル合わせをして下さい。中国語講座を意識することなく、楽しく北京の街角散歩ができますよ。

旅の想い出、中国北京の頤和園、雍和宮、孔子廟でした。

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この記事へのコメント

よしたけんこう
2010年05月28日 18:06
こんにちは、私は1993年に一度、中国に行きましたが
相当変化していますね。

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