旅の想い出その15 オランダ アムステルダム

今回の旅の想い出はオランダ、アムステルダムです。アムステルダムはオランダの首都ですので、皆さん、ご存じですよね。ですから、アムステルダム市がどんなところかの概要紹介は抜きです。つれづれに宿泊したホテルからの街角散歩をお見せするつもりです。でも、運河紹介になるかも知れません。
このアムステルダムへも仕事できました。しかも今までとは少し違った状況だったのです。いつもは自分の時間がそれなりに取れて、ゆっくり散歩が出来て、写真撮影もそれなりに出来たのです。今回は、お客さんと一緒だったものですから、限られた時間で、あせって見て回ったものでした。それで、つながりといったものが見えず、自分が撮った写真を眺めても、これは何だったんだろうなんて考えてしまって・・・・。説明出来ないものと、お客さんが写っているものは、お見せしませんから。でも、少しの間、お付き合い下さい。

まず、このアムステルダムの想い出ぶろぐを書こうと思ったきっかけですね。これも、ほんのちょっとしたことがきっかけでした。今年の6月にサッカーのワールドカップが南アフリカで行われますね。日本の対戦相手国は、皆さん知っていますね。その中にオランダという強豪国が入っています。そのオランダの選手にインタビューした番組が最近あったのです。そのバックに私がオランダ、アムステルダムで泊まったホテルが、な~んと、出てきたのです。ですから、この旅の想い出ぶろぐを書こうと思ったのです。な~んだ、つまらない、と思っていますよね。もっと、奥深い話しが出てくると思っていましたか? ちょっとしたきっかけだ、と言ったでしょう。つれづれぶろぐですからね。また、思い出ぶろぐを膨らましますよ。

オランダに出掛けることは、当時です、あまり考えたことはありませんでした。でも、アムステルダムという響きの良い町の名前は私の頭の中に前々から有りました。私の若かりし頃、吉永小百合と浜田光夫の映画で、”風車のある町”でしたか、”哀愁のアムステルダム”、なんていう青春映画がありました。古いですからね、やはり、知らないですって? じゃあ、少し説明しますね。あの浜田光夫が干拓工事の土木技師で、オランダ、アムステルダムに工事のため来ていたのです。そして、吉永小百合がアムステルダムに浜田光夫を訪ねてきて、理由は思い出せませんが、二人でボートに乗って運河を巡るんですね。そして、運河に架かる跳ね橋を、ゴッホが描いたあの橋ですよ、見たのが何故かすごく印象に残っていたのです。ゴッホはオランダ人で、ゴッホ美術館もアムステルダムにあります。ずっと、ゴッホの跳ね橋はあの運河の橋と憶えていました。ですが、あのゴッホの絵は、フランス、アルルの跳ね橋を描いたものと後になって分かりました。ゴッホ、跳ね橋、運河、オランダ、アムステルダム、連想ゲームですが、最後につながります。全然つながっていないとの声も聞こえてきますね。続けます。吉永小百合と浜田光夫は干拓工事現場で、そこも理由は分からないのですが、最後の最後に再会を果たし、それでハッピーエンドでしたっけ。このような映画がありました。全然内容が分からないとの声が大勢を占めているようですね。でも、当時は感動したんでしょうね。今でも、おぼろげに憶えているのですから。ただ、何のために彼女はアムステルダムまで来たのだろう、これは思い出せないのですね。映画のタイトルは鮮明に憶えています。中身の記憶は、と切れと切れ?です。もう還暦も過ぎていますから。もしかしたら、吉永小百合の歌にも”哀愁のアムステルダム”があったような。これもメロディは憶えていないですね。私は案外、音感は好いはずですので、一回聞いたらだいたい歌える。昔の歌は、です。今流行の歌にはついていけませんので、それは無理な話です。

閑話休題、それで、アムステルダムですね。

オランダのアムステルダム、スキポール空港にはそれまでにも何回か来ていました。いつも、トランジットで最終目的地ではなかったのです。そう言えばデンマークのコペンハーゲン、カストラップ空港もそうでしたね。北欧にでかける時の中継のための空港でした。ですから、空港の建物の中はすっかり憶えてしまっているのに、その町は知らない。そんな町もあります。ですから、アムステルダム、スキポール空港から外に出たときには感激したものでした。やっと”哀愁のアムステルダム”にやってきた、と。おおげさですね。

では、宿泊したホテルの紹介から始めます。NHグランドホテル・クラスナポルスキーです。クラスナポルスキー・ホテルと呼びますからね。このホテルはアムステルダムの中心、ダム広場に面する交通の便の非常に良いところにあります。アムステルダム駅にも歩いて行ける距離にあります。
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では、アムステルダムのクラスナポルスキー・ホテル近辺の地図を紹介しますね。Google Mapです。
http://maps.google.com/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&q=%EF%BC%AE%EF%BC%A8%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB&sll=52.370883,4.897499&sspn=0.02028,0.054846&ie=UTF8&hq=%EF%BC%AE%EF%BC%A8%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB&hnear=&ll=52.374027,4.897499&spn=0.009484,0.027423&z=15

今回は写真が少ないので、こちらの写真も、ストリートビューもうまく使いましょう。ダム広場と運河を巡ります。

この町に滞在したのは、たった一日だけでした。それでも、ホテルの周辺は歩きました。アムステルダムには運河が張り巡らされていますね。ダム通りを少し歩くと、そこかしこに運河がありました。まず、ホテルの裏側の運河です。なんでこんなに美しいのだろう、というのが私の感慨です。
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それと自転車ですね。この町の住人はよく自転車を使っていましたね。自転車道、歩道も整備されていました。運河、小道、橋、自転車とみんなこの風景に溶け込んでしまっています。本当はずっと歩いていたいという気持ちになりました。
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ボートでの移動もあり、のようです。運河ですから流れも穏やかで、のどかで、すっかり和んでしまいます。
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あの、飾り窓はどこだなんて探しませんでしたからね。でも、写っているかも知れませんね。なに、それ、とおっしゃる方、聞き流して下さい。
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写真中央に見える教会らしき建物は聖ニコラス教会の建物だそうです。後で紹介する新教会に対して、旧教会とも呼ばれているそうです。聖ニコラスは船乗りの守護聖人であり、アムステルダムでも熱心に信仰を集めてきた人だそうです。オランダで一番有名な贈り物の日、12月5日は「聖ニコラスの日」と呼ばれて、オランダでは大事にされるお祭りだそうです。すぐ近くで撮った写真がお見せできないので、これで我慢して下さい。
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ダム広場の近くの通りに、マダムタッソウの蝋人形館がありました。私は入館しませんでした。あまりに本人に似ていて、好きになれないからです。でも、皆さんには行かれることを勧めますよ。
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ダム広場の前に王宮がありました。もともと、市庁舎として建てられたものですが、ナポレオンの兄弟ルイ・ボナパルトの居城となった際に王宮となったそうです。現在はオランダ王室の迎賓館として使われています。観光ガイド通りの紹介になっていますね。失礼。
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新教会の建物だそうです。後期ゴシック様式の教会。現ベアトリクス女王など、歴代のオランダ国王の載冠式が行われる場所として有名なのだそうです。
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ホテル前の広場に大きなモニュメントの塔がありました。第2次世界大戦でドイツからの解放を記念するものだそうですが、詳細はわかりませんでした。バックがクラスナポルスキー・ホテルです。
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このダム広場から奥の方にアムステルダム中央駅が見えます。東京駅はこのアムステルダム駅を模して造られたと聞いていますが、遠くて少し見にくいですね。拡大して見えますか。
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翌日、アムステルダムからハーグに向かう車でこのアムステルダム中央駅前を通過したのですが、写真には収めておりませんでした。撮っておけばよかったと少し後悔しています。旅はすべてが一期一会ですからね。

少し、オランダの田園風景をお見せします。アムステルダムからハーグに移動する車の中から撮りました。こちらは頑張って撮りましたね。オランダの、遠い昔の干拓地なのでしょう。農村、放牧地、風車、しっかりカメラに収めました。私の頭の中のオランダですからね。ただ一つ、チューリップ畑が撮れていませんでした。隣の席にはお客様ですので、かなり気にしながら、遠慮がちに撮りました。
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ハーグの町が見えてきました。私のお客様が、お客様に会うというので、写真撮影は遠慮することにしました。
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ハーグの町は伝統と文化の共存する落ち着いた街です。オランダの政治の中心で、国会議事堂や各省庁のほか、国連の司法機関である国際司法裁判所を有し、ベアトリクス女王を含むオランダ王家の居城ハウステンボスがあります。近くに古都デルフトがあり画家フェルメールが生まれ育ち、生涯住んだ街であることを知ったのは、それから5年も経ってのことでした。

こんなこと何も知らずに、ただひたすら仕事をこなし、ハーグの鉄道駅、デン・ハーグから次の訪問国フランスに鉄道で旅立ったのでした。デン・ハーグ駅の写真がありました。
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大きなトラックが邪魔をして、きちんと見えなかったですね。

オランダのデン・ハーグ駅から、ベルギーのブリュッセル経由で次の訪問国フランス、パリの北駅に向かいました。

日本にも、長崎にハウステンボスがあります。長崎オランダ村ですね。5年前に家族で出掛けました。私の頭の中のオランダはこちらの方がオランダでした。なんか変な表現ですね。また、長崎の出島では江戸時代、オランダ国とのみ貿易が許されていたのですね。フォン・シーボルトも長崎の出島で医師として活動し、西洋医学を日本に伝えました。何故か、ずっと、彼をオランダ人と思っていましたが、ドイツ人でしたね。彼は江戸まで旅をして、日本の生物学、民族学、地理学の関連書物をオランダ経由ヨーロッパに伝え、当時はシーボルト事件の当事者で犯罪者でしたが、今では日本と西欧の架け橋の役割を果たしたのでしたね。吉村昭の”ふぉん・しいほるとの娘”には、それらを含め、当時の日本とオランダの関係も書かれていました。この本は、大作であり、かつ名作ですね。皆さんも興味が有れば是非お読み下さい。オランダ国は日本の近代化には大きく貢献した国なのですが、オランダ、アムステルダムを旅して、今から思えば無知を恥じる旅の思い出の一つです。

旅の想い出、オランダ、アムステルダムでした。

相変わらずの拙文で失礼しました。


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