ふるさと 北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、また

先日、国土交通省国土計画局のGISホームページにアクセスしていて、昭和52年の旧浅野炭坑市街地の空中写真がさらに詳細になっていることを見つけました。続きの続きぶろぐでは、この空中写真を持っている旨、お知らせしました。あのときの写真は100dpiゆえ、拡大表示しても、私のPCで、はあまり良く見えなかったのです。もしかしたら以前からこの400dpi写真は掲載されていて、私だけがアクセスできなかったのかも知れません。今回、GISホームページを最初からアクセスしなおして、400dpi表示ができること分かりました。今度は、旧浅野炭坑の遺跡の写真でよく掲載されている選炭場跡、ホッパ跡がきちんと残っていることが、この空中写真で確認できました。では、そのURLをお知らせしますので、クリックしてご確認下さい。国土画像情報(カラー空中写真)閲覧機能(試作版)なのだそうです。

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-18/c5a/cho-77-18_c5a_24.jpg

昭和52年の航空写真ですので、浅野炭坑、古河雨竜鉱業所です、が閉山して、約9年経過していますが、選炭場は崩れもしないで残っているのが分かります。もうブルドーザで浅野炭坑市街地を破壊してしまった後なのでしょうね、駅、学校、商店街、炭坑住宅は存在しませんし、山の上にあった、私が住んでいた曙町の住宅も見る影もありません。私が兄と一緒にこの町を訪れたのは、昭和63年ですから、この写真が撮られて、約11年後でした。恵比島方面から入ったので、選炭場を越して橋の近くに車を止め、橋を渡り、大原町のもと住んでいたところまで歩いていきました。そして、大きな通りを道沿いに左折して歩き、もう一つの橋のところまで歩いて行ったのです。幌新大刀別川(沈粉川と通称で云う、と、”元住人?かな”さんがコメントで教えてくれましたが)の流れは本当に綺麗でしたね。曙町の住宅はこの写真のようにはっきり見渡せる状況には無く、草木が鬱そうという状況で、道も無くなっており、危険なので、行くのはやめました。旧浅野炭坑商店街の通りと大原町の炭坑住宅、病院、配給所等があったところが白くなって見えるのは、人や車の往来、活動があったところ、または、建物を壊した残骸があることを示しているのでしょうか。

私が思うに、沼田町浅野地域史跡図とこの航空写真を見比べて思うのですが、選炭場近くの橋のさらに昭和寄りに、山側と昭和への道路とを繋ぐもう一つ橋があったように思います。また、浅野地域史跡図では、浅野小学校に行く途中、駅から伸びる商店街の近くに、もう一つ橋があるようですが、自分としてはこの橋を渡った記憶がないのです。写真ではもっと恵比島寄りに川が流れているように思うのですが。つまり、浅野小学校、浅野中学校は浅野地域史跡図の通りですが、川はもっと恵比島寄りを流れていたように考えていました。でも、55年前ですからね、私の記憶が間違っているのでしょうね。また、これより古い航空写真はあるのかどうか、有れば昭和30年くらいのものが見たい気がしますね。私がこの町を離れたのが昭和30年7月でしたから。無いものねだりかもしれませんね。

また、このGISホームページの写真と沼田町浅野地域史跡図を見ながら、沼田ダム、ホロピリ湖に沈んだ旧浅野炭坑の町に思いを馳せてみました。間違ったことを述べていましたら、指摘して下さい。感謝致します。

ふるさと、北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、また、でした。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック