ふるさと、北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ、続きの続き

北海道雨竜郡沼田町役場のニックネーム亀吉さんから、沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐに暖かいコメントをいただきました。有り難うございます。この場をかりてお礼申し上げます。昔の浅野炭坑の地図なんかも見ることができるとのこと、期待が膨らみます。これからもよろしくお願いしますね。

ブログでも書きましたが、私は沼田駅には降りたことはありません。沼田駅を汽車、気動車に乗って通り過ぎること、また沼田町を自動車で通過することは何回もありました。恵比島駅は旧留萌鉄道から旧国鉄への乗り換え駅でしたから、思い出もあります。あの古い駅舎にも思い入れはありました。でも、沼田町そのものにも懐かしい気持ちは持っておりました。

私には、大学の電子工学科の同級生に沼田高校出身者がおりました。M君と言います。彼と親しくつき合った記憶は残念ながらありませんが、何回か個人的に話したことはあります。私は富良野高校出身ですので、彼も私の田舎は富良野と思っている訳で、私が生まれ故郷、旧浅野炭坑の話をしないかぎり、沼田町の同郷としての話には発展しない訳です。M君との仲はその後も発展することは無かったのです。M君は、大学卒業後、札幌で就職しました。昨年行われた大学時代の電子工学科の仲間による還暦同期会、札幌定山渓で開催されました、には彼の出席はなく、再会もありませんでした。次回の大学同期会は関東首都圏で行われる予定ですので、再会できるかどうか、これもまた難しくなります。

こちらは、平成に入ってからの話ですが、北海道大学の先生方ならびに関係者と、北海道大学の先輩で企業の経営者、役員幹部になっている方との産学共同参画シンポジウムが札幌、北海道大学で行われたことがありました。私の勤めている会社役員、こちらも名前がMさんなのです、が産学共同参画シンポジウムに参加することになりました。同じ会社に勤める先輩が、私のM役員同行(かばん持ちです)を推薦してくれて、私も札幌に行くことになりました。この産学共同参画シンポジウムとは企業が資金を出して、大学の学術研究を支援し、大学の学術研究のレベル向上と研究成果を企業業績、産業の発展に貢献、資するものであり、お互いをWin-Winの関係に結びつける、というものですね。今でも行われています。その産学共同シンポジウムが札幌の北海道大学で行われました。北海道大学の工学部、特に、電気、電子、情報関連の先生方が出席したように記憶しています。ということで、私は会社のM役員と一緒にシンポジウムに出席したのですが、このM役員も沼田高校出身者でした。産学共同シンポジウムは盛況のうちに終わりました。その後、M役員は北海道大学関係者と歓談したのですが、その中で、北海道雨竜郡沼田町の話や札沼線のその後の話、閉山なった炭坑の話が頻繁に出てきました。私が富良野出身と考えておられるM役員と大学の先生方の話の中にはなかなか入っていけませんでした。また入れてもくれませんでした。やはり浅野炭坑の町から幼少の頃離れたという意識が自分にはあったのだと思います。つまり私が当時、旧浅野炭坑のことをあまり分かっていないということでした。結局、このM役員とも沼田町、浅野炭坑の話をすることもなく札幌出張を終えました。

沼田町旧浅野炭坑が気になりだしたのは、この5年くらいですね。浅野炭坑跡地を訪れ、ブログ、ホームページに写真、といっても、美しいダム湖、ホロピリ湖と浅野炭坑のホッパー跡の写真がよく掲載されていました。しかも、彼らは、このダム湖の下にあの旧浅野炭坑の町が沈んでいると、いつも記述していましたね。本当に浅野炭坑の町を知っていて書いているのかしら、と疑問でしたね。また、ネットをアクセスしていて、なんかの拍子に、国土交通省国土計画局のGISホームページに昭和52年の旧浅野炭坑の町の写真が掲載されているのを見つけました。もちろんダム湖に沈む前の浅野炭坑の町の航空写真でした。住宅は何も写っていませんでした。本当に無かったのでしょうか。また、国土地理院広報2007年10月号にも浅野炭坑とホロピリ湖のことが掲載されていましたね。沼田ダム、ホロピリ湖を訪れた人のブログには、沼田ダムのほとりに、当時繁栄を極めた浅野炭坑と昭和炭坑の当時の町の様子を示す地図があるとも書かれていました。

昨年11月頃、ひょんなことから、浅野炭坑市街のあの地図(私のブログで何回か使っているものです)が手に入りました。自分のあたまの中にある浅野炭坑の町がよみがえりました。いつか自分で作文に書いた幻の浅野炭坑の町と較べてみました。かなり合っていました。やはり幼かったからでしょうか、新雨竜駅舎のイメージが残念ながら出てこないのです。でも、不思議と浅野小学校、中学校のイメージはあります。さらに、あの幌新大刀別川に架かる橋がどことどこにあったとか、あそこの川で遊んだとか、地図があればそこをつないでいけばよいと思うようになりました。それだけあの地図は貴重なものになりました。

大学卒業後、横浜に就職し、横浜暮らしを始めたものの、住居を3回変わり、こちらの手持ちの浅野炭坑の写真も少なくなってきました。上富良野には亡き父が撮った浅野炭坑の写真が残っているのではと思いながらも、上富良野の住居も何度か変わっています。今では、もういくら探しても浅野炭坑の写真は出てこないだろうなと寂しく思っています。

旧浅野炭坑のことは、あまりに幼かったゆえ、点で記憶しているように思います。これが、何かのきっかけで線になり、面に拡がっていけばうれしい。今回、沼田町役場の亀吉さんからの応援コメントは大きな励みになりました。

つれづれブログは、心にうつりゆくよしなきことを、そこはかとなく書きつくるものですから、私が思い出した時、うまく書き連ねられるかどうかにかかっております。書き連ねたブログへの支援があることは本当に力強いものです。

ふるさと、北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐに大きな励みが出来ました。

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