ふるさと、北海道雨竜郡沼田町旧浅野炭坑のつれづれぶろぐ

2009年11月7日の夜、昔の写真を整理していたら、生まれ故郷(北海道雨竜郡沼田町字浅野新雨竜)で友人と撮った写真がでてきた。生まれ故郷はすでに湖(沼田ダムのポロピリ湖)の下に沈んでいる。現在、色々問題になっているダム問題であるが、私には生まれ故郷は既に無く、第2の故郷である上富良野町を故郷としている。たまたまポロピリ湖関連のブログをアクセスしていたら、ポロピリ湖畔にある沼田町浅野地域史跡図が掲載されていたので、私が昔、つづった”浅野炭坑の想い出”という文章と比較確認してみた。かなり正確に覚えていたようだ。残念ながら仲良く遊んだ人物名がでてこないのにはまいった。昔の写真は大切な宝物だが、手許にはほとんどない。
退屈きわまりない文章がPCの中にあったので、浅野炭坑の想い出と地図、写真を眺めてブログにアップしてみた。

沼田町浅野地域史跡図&大原町、曙町の住まい場所
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上、友人と曙町住宅をバックに(小2)及び、下、兄弟と友人と一緒に(4歳)。ともに後ろ奥が曙町の住まい。

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浅野炭鉱の想い出

私は昭和22年8月30日、雨竜郡沼田町字浅野新雨竜、大原町で生まれた。父は炭鉱技師だったが、私が物心ついたころには、浅野炭鉱の配給所で働いていたように思う。私が生まれた大原町住宅の裏に広場があり、その向こうに病院があったように記憶している。さらにその向こうに、広場と大きな配給所があった。さらに向こうには川が流れていて、川の向こうに古河雨竜浅野炭坑があった。その川の上流には昭和炭坑もあり石炭を洗った水で真っ黒だったように記憶している。道路を挟んで配給所のま向かいに、浅野炭鉱の大きな事務所があった。橋を渡って、川の向こう側には川に沿うように道路、鉄道が通っており、さらに線路の向こうに浅野炭坑の選炭場があったように記憶している。私が選炭場に足を踏み入れた記憶はない。配給所から線路に向かい左が昭和方面、右が新雨竜駅方面であった。私は小学校に入る前まではこの大原町で過ごし、その後、曙町に移った。私の新しい曙町の住まいは先に説明した病院の正面から山側に一気に山をかけあがるように道路が延びていた。途中にグランドらしき広場があり、上りきったところに住宅が左右に広がっていた。私の曙町の住まいはその道を直線で、2、300メートルすすんだところを、左側に谷川を見下ろすように右斜めに上っていき、少し坂をあがった一番奥にあった。当時、新しく建てられた炭坑住宅であり、兄二人、両親とも住むことに非常に満足していた。住まいの前側は少しのひろばがあるが、すぐ沢になり、崖になっていた。住まいの裏側は小さな畑がありそのまま裏山に続いていた。住まいのさらに奥はやはり沢で谷川が流れ小さな池につながっていた。その奥がどうなっていたか記憶は定かでない。住まいには風呂もあり、部屋も今でいうところの2DKでそれなりに広く快適であった。

新雨竜駅というのが最寄り駅になるが、駅前は子供の眼にも随分賑やかだったように記憶している。駅を出ると、にぎやかな駅前商店街があった。駅前商店街をまっすぐ進み、道路にぶつかったところで右折し、50メートル進んで左折、また50メートル進んで右折、少し歩いて橋を渡ると大きな炭坑住宅(大原町)があった。そこをまっすぐ歩き道路がつきあたりのところ(T字路)で右折し50メートル歩くと大原町の私の住まいであった。

浅野新雨竜には映画館が2軒あった。1軒めは新雨竜駅を出てすぐ左にいったところにあった。またもう一軒は新雨竜駅を出てまっすぐ進み、右折、左折、さらに右折して、橋を渡って大原町にはいるが、右折せずにまっすぐいくとつきあたりが映画館だった。どちらかが浅野会館でどちらかが古河会館だったように思うが定かではない。

学校は私の住まいからは行くのが大変だったが、子供の足で約30分かかったように思う、恵比島側の線路を挟んで、左に中学校、右に小学校があった。駅からだと、駅を出て、まっすぐ進み、ぶつかった道を左に進み10分くらい歩くと小学校、中学校についたと思う。

私は昭和22年から30年までこの新雨竜、浅野炭坑に住んでいた。父が古河雨竜浅野炭鉱をやめることで、空知郡上富良野町に移った。昭和63年長兄(平成元年死去)が、おまえの故郷が湖の底に沈むからもう一度見ておけと連れていってくれた。そのとき街には誰一人住んでいる様子もなく、大原町炭住街は既にブルドーザで倒された後であった。大原町のもと住んでいたところまででかけた。懐かしい気持ちがした。曙町には危険ということででかけることはできなかった。川にかかっていた橋は(朽ちてはいたが)むかしのままであった。昔黒かった川の水は清流のごとく澄んできれいになっていた。もう少しで貯水が始まると長兄は云っていた。長兄は上富良野町役場に勤務していたのでこの浅野炭坑の炭住跡が湖の下に沈む状況は十分分かっていたようにおもう。

恵比島駅に戻り、もう二度と浅野炭坑の街を見ることはないと兄と話した。おまえの故郷はもう上富良野だからなと。兄と違い私は全然涙がでなかった。不思議だった。

浅野炭坑の想い出終わり

ながながと書いてしまいました。お付き合い有り難うございます。

もし、北海道雨竜郡沼田町字浅野新雨竜に在住されていた方のコメントならびにメールがいただければ嬉しくおもいます。また今回掲載の写真、55年以上前のものになりますので、掲載をご了解頂きたい。

タイトルを内容に合わせて修正しました。ポロピリ湖はホロピリ湖が正しいのかも。11月17日追記


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この記事へのコメント

ぱんちゃん
2012年04月19日 03:29
北海道旭川出身、横浜にて結婚生活を送り、現在バルセロナで暮らしております。(夫の駐在のため)北イタリアに旅行しようと思い、検索していましたら、このブログに出会いました。炭鉱、鉄道、新聞など興味のあるカテゴリーがあるので、これからも時々読みたいと思います。楽しみにしています。

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